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近況_20220622

GW以降休日が取れずに体重が減り、登校時に激しい下痢と嘔吐感を覚えるようになって初めて身の危険を感じました。何時にもましてこの地は身体中を舐め回すような気味悪い風が吹いています。どうやらもう夏が始まっているようですが私がこの地に夏を感じることは永遠にあり得ないでしょう。6年住んで分かったことですが、この地は私に向いていない。幸か不幸か来年卒業して、360°の回り道を抜けてようやくピットインからレース会場を走ることになるそうです。まぁ札幌に住んでいて良かったと思った要素があまりないので後腐れ無く離れられそうですね。就職出来ればの話ですけど。

善意、という概念があります。これが実に困った物で、人の善意に気付くことが出来ないという、なんともおめでたい人間が時たまいらっしゃいます。そんな不燃ゴミは無視するに限るのですが、そのゴミがたまたま自身の上司であったり、はたまたそれは親であったり。今の私にとってそれが今の指導教官というわけです。私は「人には感謝しましょう」という汚らしい綺麗事は大嫌いなので、内心は中指立てつつも「有り難う御座います」とは言っています。外見を適切に見繕っておけば中身を覗かれることはありません。時々その中身を推し量ることが出来る賢い人間や、泥の付いた靴で中身に上がり込む困ったちゃんもいますが。人の善意が分からない人間を判別するのは意外に簡単なことです。例えば冷蔵庫の一口分だけ残っている麦茶、テーブルに置かれたままのコースター、満杯になりそうなゴミ箱。これらを自ら積極的に処理してみましょう。それに気付かれなかったら漏れなくそいつは善意に気付けない人間です。なに、それに気付ける人間は少数だって?当たり前です。人間なんてそんなもんです。ちなみに私の実験室では器具の洗浄に大量のアセトンを使用します。大体2日に1回は補充する必要があるのですが、今のところこれを最も頻繁に補充しているのは私です。日本語が不自由な学生が大量にいる研究室なのでまぁ仕方ないと割り切ることが出来ます。悲しいけどね。話は戻って、私の指導教官は土日構わず実験の指示をします。平日に受講するべき講義の時間を潰してまで実験を指示します。そして漢字はおろか、平仮名すら読めないのでメールの翻訳を私にさせます。さて問題、私は明らかに必要以上の犠牲を払ってこれらの指示に従うのです。その私に返ってくる言葉とは?「この実験やってないよ」「時間の使い方下手ね」「やって」と。善意に気付かないどころか意図的な悪意さえ感じます。餓鬼の相手は疲れます。

はてさて、この指導教官ですが「日本に13年住んでたから日本人のこと分かるね」とのこと。さぁ困りました。私は日本で生まれ日本で育ったので一応日本人と自称できましょう。では、日本人とはなんぞや。指導教官が言っている「日本人」とは単なる行動の傾向を指していると容易に推測出来ます。ではその指導教官は日本人である私を理解出来ているのでしょうか。勿論、不可能です。私を1番理解し、その結果理解どころかその片鱗を推察することも出来ないと絶望している私。それを理解するのは人間を越えた存在なのでしょう。ここまで読んでくれたらもうお分かりとは思いますが、「自分は○○を知っている」という判断はその瞳を潰します。「私は知らない」という結論にたどり着けたソークラテースが如何に偉大であるのかは容易く理解出来ますね。これを読んでいる数少ない変わり者の貴方にはこうなって欲しくないものです。私は何を知るのか。何を以て知ると言えるか。私は何を知らないのか。知識や経験、そして考察の果てにようやく見えるのは不可知の領域です。その不可知から目を逸らさずにいたいですね。

また腹痛が始まりました。精神的に危険なのかもしれませんがもうどうしようも無いのです。退学する羽目になったら今抱えてる、このドブ研究室のマル秘ヤバ情報を流すのも面白そうですね。