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休息未満

不意に落涙する体験というものは人生においてそうそう出会うことがない。6年前に退学か自殺かを迷いに迷った時、落ち着くために煙草を吸ったら壊れた水道のように涙が出たことはあったがそれ以降泣いたことはなかった。そして先月の23日、いつものように無理難題を指示され、いつものように憤慨しながら作業していたら涙がこぼれた。精神の不調より先に身体が壊れたのは初めての経験であり、眼前の事実を把握するまでに時間を要した。それでも数分経つと自身の状態がまたあの頃に逆戻りし始めたことを理解したのでメールでその旨を連絡し、帰宅した。今思えば毎日下痢と嘔吐に苦しみ、それでも実験を進めていたのは明らかな判断力の低下だ。「これ以上は無理」と何回訴えても「私は貴方より忙しい。だからあなたはこの作業を出来る」としか返答しなかった指導教官は一度も研究指導をしていないし、大抵はスマホで現地の言葉を使って電話している。自宅で休息できるようになって幾分か判断力が回復すると、私がいる環境は少なくとも学業に励むことは出来ないと気付いた。

次の日、鏡を見たら頬がこけていることに気づき、試しに体重を計ってみたら4月からの3ヶ月で6kg減っていた。昨日何を食べたかよく思い出せない。朝は珈琲、昼はいつものチキンカツ定食、夕食は食べる時間がない。このルーティーンを春からずっと繰り返していたので体重が減るのは当たり前だ。今日くらいはゆっくりと食事をとろうとトンカツ屋に行って満足ゆくまで食べたら強烈な嘔吐感に襲われ、店を出て自宅に到着するなり全て吐いてしまった。油が良くなかったのか?久々の満腹感に動揺したのか?疑問が浮いては周囲を回る。その疑問達の中に一際目立つものがひとつ。今食べた物は味があったか?この疑問に答えるべくそれから私は数日間、食事の時になるべく味の感覚を逃すまいと集中してみたが、感じられるのは匂いと舌の触覚のみ。よって私は鼻を塞いで舌に食塩を乗せてみた。……刺激。舌は前後で異なる神経に支配されている不可解な器官であるためか、先端では単なる痛み、根本付近ではなにも感じられない。次はケトルの洗浄に使うクエン酸ティースプーンですくって口に放り込んでみた。……この刺激が酸味?酸味と塩味は味の基本5味であるにも関わらず、その違いが分からない。ならば甘味は?常備しているチェルシーのヨーグルト味を舐めてみた。好みの香りだが、香りだけだ。珈琲なら流石に分かるだろう。普段よりも豆を細かく挽いた珈琲は強い香りがした。つまり今の私は味に関して刺激以上の要素を判別出来ないようだ。その事実に気付くと食欲が無くなってしまった。はて、私が味覚を失ったのは何時頃だったのだろうか。私は壊れてしまったのだろうか。今の冷蔵庫は調味料と飴、そして珈琲豆だけを冷やしている。

指導教官には2週間は問答無用で休む、それまでは絶対に行かないをメールに書いたが、それに返信が来たのは7月の始めだった。普段と違い、私の名前をフルネームで書いている。「Take sleep and eat healthy」や「You have my support」等、書かれた文章全てに怒りが湧くが、なかでも「I understand you very well」という言葉には怒りすら湧かなかった。人間について相当理解しているという自信があるようだ。そうやって呆れていたら電話を掛けてきた。本人の声を聞くだけで今の私は吐き気を催している。しかし無視しても何度も何度も着信を飛ばしてきた。辛抱してそれらを無視し続けたら漸く静かになった。

上記の文章を読み返してみたが、普段の私とは違う雰囲気を感じる。何が違うかは私にも分からないが、要するに今の私は心身ともに壊れ始めているのだろうか。いずれにせよ、2週間の休息は現状の把握を可能にしただけであって、私を修復させるには短すぎる。けれどもこれからのキャリアを言わば人質にされている私は明日から再び研究室へ行かなければならない。明日の対応次第でまた行動を決定するつもりだ。