Twitterには収まらないうだうだを書く。Twitter:@motose__

愚考

感情の17歳

泣いて、笑って、悲しんで。感情は意図しないところから湧き立ち、本人を飽き飽きさせることなく刺激する。 特に人間の17歳は、溢れ出す感情の奔流に翻弄される貴重な時期だ。この時期に感情という感覚に慣れることが出来ないと、私のようにちょっとした悲的…

牙を剥くsolitude

私が病人だからそうなのか、それとも生来の気質なのか全く分からないが、私はこの先続くだろう孤独に恐怖し、気が狂いそうになることがよくある。今の私はまだ若い。若い故に孤独をsolitudeと気取って痛々しい人間を演じながら遊びほうけるのは許される行為…

人を好きになれるか?

幼稚園児の頃の私は同性の幼なじみと裸で抱き合っていた。彼は男役として。私は女役として。小学生の頃は周りでしきりに「好きな人」談義がされていたが、その頃から「好き」という概念が理解出来ずにいた。「好きな人はいる?」という問には取りあえず見た…

「ルックバック」の表現修正から見る現実と虚構の境目

「ルックバック(著:藤本タツキ)」の劇中における表現が、読者からの指摘によって一部修正された。これについて私自身思うことがあるのでこの場所に書くこととする。表現の内容については一切書かない。私がこの件で気になったのは、我々人間が現実と虚構の境…

夏に失せ物を探す

好きな季節は?という安直な質問があり、各々好き勝手に花粉症だからと春を貶したり寒いのは嫌いだからと冬を蔑んだりしている。私はそれぞれの季節に好きな箇所や嫌いな箇所があるので、どの季節が好き嫌いといったことがない非常に中途半端な性格をしてい…

認める

人間を認める。言葉で表現するだけならば実に容易だ。ではそれをどのようにして行動で実践する?そもそも「人間を認める」ことをどのように定義する?私とっての答えを探ってゆく。 目の前に人間がいる。この人間Aが私にとって見知った人間であると仮定しよ…

日記という病的かつ変態的な存在

19世紀にアンリ・フレデリック・アミエルというスイスの哲学者がいた。彼は30年にもわたって日記を書き続け、死後その日記の完成度の高さが評価されている。日記と言われて我々のようなその辺の一般人が思い描くのは「~をした。~を見た、聞いた。」といっ…