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敗走喧騒追想

二月に買ったミモザは葉を落とすこともなく枯れ始めている。

 

東京モノレール羽田空港から浜松町までの風景が苦手だ。私がこの風景を目にするのは決まって退学や宿痾といった、どうにもならない事情を抱えた時だった。

 

この一ヶ月間はとにかく何もしない。そう決めて文字通り自宅で椅子に座る日々を続けた。目覚ましを掛けずに眠ると必ず睡眠時間が10時間を越え、目が覚めると日は真上近くにいた。カーテンの隙間から差し込む光が非常に鬱陶しく、仕方なく起き上がってトースト1枚と珈琲だけで2時間近く椅子に座り込む。傍から見たら病人のようだが、まさしく今の私は病人であり、異常者。今まで空回りしていた思考はチェーンが外れた自転車のようで、どれだけペダルを踏み込んでも一切の手応えを得られなかった。しかしこうやって何もしないことでチェーンは再びギアを噛んだようで、全力でペダルを踏むと僅かながら思考が進み始めたようだった。思考が重い。とても重い。けれども、前に進む感触がする。珈琲を飲んで、思考を記録し、煙草を吸って、眠る。その生活を続けていたら何故か再び体重が減ってしまった。食事を忘れていたのだ。

この半年で過敏になった嗅覚に代わり味覚は減退する一方で、所謂味の基本単位である4つを認識できる程度になってしまった。周囲の人間が「美味い」と言いながら食事している隣で私は「しょっぱい、にがい、すっぱい」と感じながら過ごしていた。思うに、味覚そのものは正常に機能しており、「うま味」を感じ取ることはできているはずなのに、頭の中にいる私がその存在を拒否しているのだ。事実、何度か食事中に他ならぬ私自身が「美味い」と発言したことがこの一ヶ月間で何度かあったが、あれが私の適切な判断によって生じた言葉なのか保証することはできない。つまりは私が自身の味覚を疑い始め、そうなると余計に何かを食べる欲求も消え去った。そして減少を続ける体重を両親に報告したところ、三月に一週間の実家療養が決定してしまった。

 

羽田空港から浜松町までの景色は相変わらずで、この風景を見るだけで私の内側に「敗走」の二文字がはっきりと浮かび上がる。人生を戦いに例える自身のしょうもなさには呆れるが、少なくとも真っ当な生き方もできずにこうやって社会に適応できない存在が古巣に向かうのは、社会的競争に敗北した結果である「敗走」と表現するのがしっくり来る。

そうやって自身の敗北を実感していると、目に入る風景全てが私を嘲笑うかのように輝き出す。スーツケースを引き、これから何処へ行こうかと輝いた笑顔で語らう家族。隙のない装いでオフィスビルのフロントへ、しっかりとした足取りで進む社会人。世界には希望が溢れていると言わんばかりの自信に満ちた目線で商品を宣伝するポスター。誰も彼もがそうやって前を見て生きている事実。事実が私を絶え間なく突き刺すこの痛み、とてつもなく辛く、狂いそう。何故こうも人間は幸福に生きているのか。何故だろうか。

実家までの道中はその人間を多く見た。人間が多い。一ヶ月殆ど現実世界で人間と会うことがなかったからこのように下らぬことを感じ取ってしまうのだろうか。前を見る、人間がいる。後ろを見る、人間がいる。横にも、上にも、下にも人間がいる。人間がいて、人間それぞれが皆抱えきれない人生を全力で生きていて、偶然こうやって私の前を通り過ぎている。喧騒。その事実に押しつぶされそうになって、逃げるように実家へ向かった。

最寄りの駅に到着する頃には夜も遅くなっていた。

今の私が住んでいるのは北海道の中心部で、二月は昼夜構わずあらゆる方向から雪が吹き荒ぶ。それに対抗するかのように街中を除雪車が唸り、走り回っている。雪とナトリウム灯が乱反射して際限なく踊り狂う。常に色々と喧しいのだ。街が喧しければ同様に部屋も喧しくなる。冷蔵庫の唸り声。天井の足音。隣部屋の笑い、嬌声。救急車のサイレン。書き出したら切りが無い。

一方で此処には雪が無い。車や街灯も数が少なく、街灯を頼りに歩いていると、光から暗闇を跨いで光へ、川で飛び石を渡るような感覚に包まれる。東京郊外の夜は春に最も暗く、静かになるのだ。スーツケースを引きずる音と私の足音が住宅地に響いて、その音が呼び水のように言葉を浮かべてくる。

「君には期待しすぎた」

「この仕事向いてないと思うよ」

「変だね」

壁にこびりつき染み込んだ汚れのように、負の言葉は頭の中にずっと残っている。ふと見上げた公園の梅は花弁を殆ど散らして、踏まれた花弁が誰かの足跡を作っていた。

 

帰省する度に頬がこけてゆく私に母親は真剣に悩み始めていた。

母方の祖父はアルコールに依存して行き所を失い、それに嫌気が差した母親は逃げるようにこの地へ進学した。一生一人で生きるつもりだったらしいのだが、こうして子供を生んでしまったことにほんの少しの罪悪感があるようだ。私が精神を冒し始めた頃、母親は頻りに「うちの血のせいだよね、ごめんね」と言っていた。どう言われようと私は私であり、あくまで母親とは異なる個体に過ぎないことを母親自身は未だに理解できておらず、寧ろ母親は「人間である以前に母親である」ことにも気付けていない。だからこうして私が帰省することに幾らかの安堵を抱いているようだった。私がこの家から完全に離れたら母親という肩書は風化し、何者でもなくなってしまう。それを自覚しているのか私には分からないが、母親が地元での再就職を勧めることにそのような意図、つまり子を傍に置いて、死ぬまで母親でありたいという願いが潜んでいるような気がしてならなかった。

地元に戻ってすることは父親の仕事を手伝うか、本を読むか。頭が読書に耐えられる程度には回復していた気がして、自宅から持ってきた村上春樹を読み始めた。外では春を知らせる荒々しい風と、ヒヨドリ。こんな精神状態でおよそ読むべきではない本かもしれないが、間に須賀敦子南木佳士の軽い著作を挟みつつ初期の作品をあらかた読み終えてしまった。内容は気が滅入るものばかりだったが、それでもこれらの本を数日で読了する程度の頭には戻っていることを歓迎するしかなかった。

 

帰省が決定した時に友人と連絡をとり、久々に会うことになった。私は地元の縁を意図的に切り離したので、交友関係といえばこのネット上の幾人かと、大学での交友関係に限られている。そのようなコミュニケーション不全者にも会おうと思ってくれる友人が存在するのは実に幸福なことである。

会って何をしたかと言えば食事をし、その辺りをぶらついただけなのだが、こうやって生身の人間とコミュニケーションを取っていると自身が人間になってゆくような錯覚を抱く。人間。そう、皆人間なのだ。いいや、私だって人間であることには変わりないのだが、私は「人間」という枠組みに放り込まれてしまっただけで自身の意志で人間を全うしようと思っていないのかもしれない。恐らく世間に数多溢れる健常者と私の違いはその辺りにあるのだろう。

そうやって意味を持たないことを考えていたら周囲は夜になっていた。集合場所を都会の中心地にしたため、光や騒音に囲まれると思っていたが周囲は暗く、天頂には冬の大三角が見えた。星を久々に見た気がする。それこそ高校生の時は毎日見ていたはずなのに、毎日頭上にあるものにさえ意識が向かなくなっていた。あれは星だろうか、これも星だろうか。駅へ向かうタクシーの車内から見える光はビルの看板や単なる街灯なのに、それらが白色矮星赤色巨星のように伸縮する幻覚を私は見ていた。白い町での夜に慣れすぎたせいか、こうやって空の暗い夜があることを実感するまでにしばらく時間を必要とした。

夕食で酒を飲んだ為、其処での記憶が無い。南武線に乗り込んだ辺りから記憶は再開している。強く照らす蛍光灯によって車内は白く四角い箱を形作り、窓からは黒い風景の中に赤い星が整列して瞬いていた。違う、あれは中央道の灯りだ。この風景を何処かで見た記憶がある。それも今の私のように、酷く惨めであった過去の何処か。追想しても其処が全く見つからない。この感情をどう文字に焼き付ければよいのか分からず、私は只じっとその灯りを見つめていた。

以前、人生の選択を行う為に自らの意志で複数の扉を閉じたと書いた気がする。確かにそれは事実であり、一切の間違いは無い。けれども、選択を行う私の周囲には扉の他にも深い穴や、私の手首を強く掴み、扉の向こうへ引きずり込む何かの存在に気付き始めた。今の私は穴に落ちたか、若しくは手首を掴まれたか。とにかく、私が死に損なってゆく過程で、自由意志によって進む方向を決定できるのは寧ろ少ないのではないか。もしかしたら、扉を閉じて選択した先へ進む行為よりも、穴に落ちるとか、扉の向こうに広がる闇へ引きずり込まれることの方が多いのかもしれないと。この時になってようやく自覚した。だったらいっそのこと、自身での選択を放棄するのも良いのかもしれない。中央道に一旦乗ってしまえば道中での変更を行わない限り名古屋まで行ってしまうように。落伍者として流れゆく先が私の目的地になるのだろうか。

 

そして私は再び東京モノレールに乗っている。春の東京に降り注ぐ雨は臭く、散った梅の花弁を一晩で茶色く腐らせてしまう。この時期の雨が私は苦手で、ともするとその辺りの水紋から蛆虫が湧いてきそうだ。今回の帰省で体力の回復と、今後のことを話した。そのうえでもう一度北海道へ戻ることになったわけだが、今回の帰省が敗走ならば、今こうやって空港へ向かっている道程は一体何と表現すれば良いのだろうか。敵地、と表現するのは全く間違っていると自身でも納得しているが、このままでは負傷した原因となった地へ戻るだけになってしまう。また負傷すれば良いのか、それとも。

偶然だろうか、新生活が始まる時期だからだろうか、私が登場した航空機はポケモンとのコラボレーションで機内に特別仕様の曲が流れていた。あまり詳しくない私でも分かる、旅立ちの時やタイトルでさんざん聞いたあの曲だった。成る程、確かに皆新しい生活、新しい環境へ向けて旅立つ真最中だ。その単純な事実に私は押しつぶさそうになって、誰もいない場所だったら壁に頭を打ち付けていたと思う。耐えて、何も気にしていないように振る舞っていたつもりだが、私の指先はずっと肘置きを苛立たしく突いていた。荷物の受取時になってもその感触は消えず、寧ろ隣にいた青年達がしていた、入学後の予定を決める会話で気分は滅入る一方だった。

札幌へ向かう車窓は汚れでぼやけ、差し込む陽は弱々しく、春のぬらぬらとした気色悪さが辺りに漂っている。根雪が腐り始め、町全体が泥を被った嫌な感じを纏い始めた。自宅周辺も全くその雰囲気は変わらず、自宅はいつもの湿ったコンクリの匂いに満ち、ミモザは葉を散らしていた。

 

この帰省で、私が落伍者として死に損なってゆくことに幾らか納得した。おそらくこの先も扉を前にして穴に落ち、何者かに引きずり込まれることになるだろうが、夢や妄想は少ない方がその分失望も少なくなる。この年になってニヒルの紛い物を演じる羽目になるのだろうか。全くの笑い事であるが、そもそも私の根幹には拭い難いペシミズムが寝そべっているから、もうどうしようもないのかもしれない。今此処に存在する、表現し得ない嫌な感じ。それを解決するのも良いが、そのまま放っておくのも選択のひとつなのだろう。

どうにでもなれ。

 

【帰省中に読み終えた本】

ぼくはかぐや姫/至高聖所 (松村栄子 ポプラ文庫)

1973年のピンボール (村上春樹 講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上)(下) (村上春樹 講談社文庫)

ノルウェイの森(上)(下) (村上春樹 講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上)(下) (村上春樹 講談社文庫)

塩一トンの読書 (須賀敦子 河出文庫)

こころの旅 (須賀敦子 ハルキ文庫)

山中静夫氏の尊厳死 (南木佳士 文春文庫)

 

私のような病人が村上春樹を読むのは、少なくとも良いことであるとはいえない。