Twitterには収まらないうだうだを書く。Twitter:@motose__

近況_20230311

何物かを考える気力、そして時間を確保できず地を這い回っていたら春が始まってしまいました。年が明けての一ヶ月間の記憶が一切存在しないのは、きっと嫌なことがあったからに違いありません。正月付近の私は存在しなかったのかもしれませんね。それはさておき、貴方に伝える出来事がそれなりに積み上がっておりますので、それらを粛々と書き連ねるつもりです。

就活は相変わらず人格を否定されるだけで、内定には程遠い、寒い冬を過ごしていました。面接に向かった先では当たり障りのないことを言われて、自宅に不採用通知が届きます。面接が嫌らしいのは、何が悪くて不採用になったのかが一切分からないところにあると思っています。一切笑顔を見せずに面接を受けたことが原因なのか、それとも単純に年齢が原因なのか。大学の同期や後輩に「絶対に接客向いてないよ」と言われているのは実に正しいことだったと今更ながら痛感してしまいました。患者と向き合うのに笑顔を作れない人間は必要ない。初対面で相手に緊張を強いる、私のような人間が勤められる場所ではないと見切りをつけて別の領域へ会社見学を申し込んだのが2月の始めです。そしたらあれよあれよという間に事が進んでしまいました。というよりも複数のステップをすっ飛ばして「お、イイね!採用!」となり、私の就活は終了しました。あれだけ人格や年齢を否定されていたのに、終わりとは実にあっけないものだなぁと拍子抜けする間もなく様々な手続き、送別会に追われてようやく一息ついたところです。というわけで、ひとまず一人だけで生きられる環境を得ましたが、なんというか、内側の奥底にこびりついた沈殿物が私の意識から離れずにいます。それはワインの澱のように、乱雑に私の意識を振り回すと浮かび上がり、思考を阻害するのです。澱には「もっと努力を積めば、より良い結果を得られた」「もっと早くことを始めれば、より良い結果を得られた」なんてことが書かれていて、つまりこの澱は私にとって可能性の向く先であり、つまりは私にとってあり得たかもしれない未来なのでしょう。澱を一つ一つ数え上がることは不可能なように、私の可能性もおそらくは無限に存在するはずです。音楽家になっただろう私、小説家になっただろう私、旅人になっただろう私、写真家になっただろう私…。私が今いるこの真っ白な空間に、扉は沢山あるけれども、その中から選べるのは一つだけ。その一つを私はもう決めてしまいました。この先にあるはずの扉には、ひょっとしたらそういった「私の才能」に沿った未来があるのかもしれない。けれどもそれらを選択することはきっと叶わない。私にはなんの才能もないから。だから私は扉を閉めるのです。さようならとつぶやきながらドアノブに手をかける。さようなら。さようなら。さようなら…。そうでもしないと、ふと振り返ったときに、別の扉から魅力的な世界が見えてしまうかもしれない。そうして開いている扉が一つだけになって漸く未来を諦めて、次へ進む決心がつきました。この先は恐ろしくつまらない人生かもしれませんが、因果応報というか、寧ろこれだけの罪や罰を抱えている私にとってはもったいないくらいの人生なのかもしれません。だから先へ進みます。

環境が変わるため、様々な作業に忙殺されつつもなんとか時間を作って京都へ行きました。思いついたのが出発一週間前にも関わらず、ガイドとルート作成を引き受けてくれたA(仮)、食事代を全て持ってくれたB(仮)、ありがとう。歴史に裏打ちされた建築物を前にすると、短い時間だけを生きている自身の存在がとても矮小で、独りよがりで、そして無意味なものに思えてきます。浪人時代、神社仏閣といった日本家屋は暗闇を基本として構成されている、という評論を読んだことがあります。屋外から薄暗い部屋に入り、じっと暗闇を見つめていると、段々と目が慣れてくる。そうすると不意に仏像が目の前に現れ、外光を鈍く反射する瞳はこちらを見下ろし、突き刺すような視線が人間としての悩ましさを鋭くえぐり出す。そうなって初めて我々は未熟な己を省みるといったことを書いていました。観光として立ち寄っただけの私ですらその鋭い視線に思わず身構える程ですから、修行として仏前に座するときの感情はどれほどなのだろうかと思わずにはいられません。そうやって修行を積む人間は今までに幾程いたのでしょうか。観光客が存在しなかった頃の、観光地でない京都を一度で良いから体験したくなりました。ところで、今回の旅行は京都に加え、大阪と大津にも足を運びました。それらについても少し書こうと思います。元々大津に立ち寄る予定はなかったのですが、観光シーズンと重なってしまったのか、京都の安ホテルは全て予約できなかったが故に大津の宿を取りました。京都と大津は電車で10分という、大変アクセスが良い関係にあることをこの時初めて知りました。宿泊先として選択しただけなので大した観光はしていませんが、明け方、雨に煙る琵琶湖は強く記憶に残っています。霧雨に降られて30m先を見ることもできず、琵琶湖の岸から見えるのは係留された船と釣り人が一人。景色としては楽しめないかもしれないが、全てが輪郭と色彩を失った曖昧な風景、あらゆる音を吸い込む水の静寂。その中に沈み込んで前後の感覚を溶かしていると、時折聞こえる水鳥の羽音に思わず現実へ引き戻される。このような風景を何処かで見た記憶があると、頭の中を探し回るとたどり着いたのは、かの有名な印象派を象徴する作品でした。場所こそ全く異なる、それどころか時間も交差すらしないこの場所でその絵画を思い浮かべ、はたまた霧に覆われるミラノを書き記した文学者の随筆を思い出す。この霧と湖を彼ら、彼女らに見せたら何を表現するのだろうか。そう思う一方で、表現すらできない自身の無能を酷く罵る気にもなりました。大阪は、なんというか、文章で表現できる統一された感じを一切抱くことができなかったので、少し断片的な語彙になってしまいます。人間、熱気、肉肉しい感じ、自然的な概念が一切存在せず、かといって東京の中心部とは全く異なる。人間が強烈にこの地では最優先であり、その他には目もくれず、ひたすらに疾走し続けている町でした。少しでも隙間があれば商店が立ち並び、大阪駅のように整備された建築物であってもその隅には立ち飲み屋が並ぶ。段ボールを置いて、じっと平伏を続けている老人も見ました。エネルギッシュという言葉に尽きます。圧倒されるところでした。

さて、そうして就活を終えた結果図らずも正式に道民となった私ですが、果たして道民とは一体何を指すのでしょうか。私の両親は共に故郷に対する強い思いを持っているようですが、上京組の子供である私にはそのような概念が一切存在しません。東京で生まれ育ちはしたけれど、此処は便利である以外に感情を持ちません。とりあえず「私は東京出身です」と言うことはできても、それはあくまで便宜的な方便に過ぎません。だから北海道で暮らすうちに「私は道民です」と胸を張って言えるときが来るのか、甚だ疑問なのです。貴方はそのような、地に根ざしたアイデンティティを持っていますか。確かに北海道の特色として、この地はアイヌのものであり、我々がよそ者であるという認識は、アイデンティティという概念そのものを薄めることに一役買うかもしれません。けれども、よそ者はよそ者なりに、長い間暮らしたことで醸成されたアイデンティティを持つ家庭を私は見てきました。このような気がかりは時間が解決してくれるのでしょうか。それが理由なのかわかりませんが、どうも今の私は無意識のうちに「私は道民である」ことを自身に刷り込ませようとしています。私自身そのようなことを一切考えていないにも関わらず「北海道は…」「札幌は…」という言葉を返答の始めに使い、東京に来て異様な暑さに驚き、スーパーでは道産の食材を探している。今の私はそのような土着のアイデンティティを育てている最中なのでしょうか。私の父親は東京で長く暮らしていますが、まず自身を伊予の人間であると自負しています。そのような感じで私も出身や住まいを尋ねられた時、いずれは「東京出身です」とか「道民です」とするする口に出せるにはまだまだ時間がかかりそうです。勿論、何処への所属も見いだせないまま死ぬ可能性もありますが。

今は実家に帰省しており、役所の手続きや掃除に明け暮れています。此処はそれなりに静かな住宅街で、夜更けに町が静まり返ると、遠くを走る電車の音がリズム良く聞こえてきます。実家の居心地はお世辞にも良いとは言えませんが、この家を去るためにもう少し整理整頓と断捨離を進めるつもりです。もう新年度はすぐ其処ですね。札幌に住むことでソメイヨシノを気軽に見られなくなるのは少し心残りですが、それはそれとして大きく変わる環境に慣れる努力をする方が良さそうです。年度の変わり目は何かと体調を崩しがちです。どうぞご自愛下さいませ。