墓場に花瓶

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死体を見る

普段は甲高い声を上げている生徒達も何処かしら緊張した面持ちで、誰もがいつもの笑顔を見せずにいた。

薬品の匂いが充満している。解剖室に並んだ死体は全て丁寧に白い布で覆われていて、生徒達は各々決められた死体を囲った。「黙祷」その声に合わせて全員が目を閉じた。目の前にあるのは生きていた人間。それがホルマリン漬けになってゴム人形のようになっている。

死体を見るのはこれが初めてでは無い。死んで1日も経っていない祖父の顔は普段のそれと全く変わらなかった。普段の寝顔で横たわる祖父が死んでいるようには思えず、深夜の誰も居ない時を見計らって祖父の顔を突っついてみた。弾力が無く冷たい脂の感触が私にようやく祖父の死を理解させた。

ホルマリン漬けになった死体を触ってみても脂の感触は全くせず、寧ろ滑らかなその手触りに人工的な冷たさを感じ取らせる。生きていたという事実を私の脳が拒否しているようだった。作り物ではないのに、限りなく作り物に近い。私も死ねばこうなるが、その事実がなんとなく腑に落ちない。死体は既に医学科の生徒が解剖したので、私達は開かれた各部から臓器や筋肉を観察するだけだった。腸に絡まった内臓脂肪、ジャーキーのように縮んだ縫工筋、握ると液体がこぼれ落ちる肺、腕をかき分けた先にある白い神経。周囲の生徒は文字通り恐れながら、そしてゴム手袋の内側に液体が一切入らないように指先だけを使って内臓をより分けていた。私は他人の排泄物や吐瀉物に対して特に何も思わない奇特な、というよりも背徳的な人間なのでゴム手袋が破けていることに気付かず奥の内臓を観察していた。講師は躊躇なく内臓を裏返す私を見て「いいぞ、そうやってちゃんと観察してくれ」と言っていたが、実のところ私は上で述べたように死体への敬意を欠いた蔑まれるべき人間だった。

「時間になったので各自片付けを始めて下さい」と教室に講師の声が響いた。これ以上観察は続けられない。手早く用具を片付けて死体に白い布をかぶせた。実習が終わって他の生徒達は教室から出るなり少し興奮気味にこの経験を話し合う一方、私は理由も無く押し黙ったまま白衣を脱いで教室を後にした。私もあのゴム人形のように死体になる。自暴自棄になって石油を飲み、首を切った私にとっては恐らく近しい存在なのかもしれない。近しい存在を乱暴に扱ったことへの罪悪感が背中にまとわりついていた。外に出ると白い満月が立ち並ぶ街路樹の間からこちらを見下ろしている。ホルマリンの匂いがしばらく鼻から離れなかった。

南木佳士 著「医学生」に学生達が解剖実習に参加する場面がある。登場人物はそれぞれ対面した死体から様々なことを感じ取り、学んでいた。私はその段階にも立てない。生きていた人間に敬意を払うことも出来ない。人間であるのに人間の風上にも置けない。死体との交流によって私は自身が如何に重要な感情や道理を欠いた人間か思い知った。他者の尊厳を理解せず、理解しようともせず、浅はかで、死体から放たれるその不気味さに恐怖していた。病がある程度関係しているのは確かだが、それにしても嫌な人間である。

今日は満月の日。あの時と同じ月を見て2年前の記憶が勝手に浮かんできた。