Twitterには収まらないうだうだを書く。Twitter:@motose__

近況_20220216

国家試験の為に1ヶ月毎日最低10時間の勉強を続けていたら体重が5kg減りました。頭がフル回転している状態を長く保っていると様々なことを思いつきます。

自身という不安定な存在。私が存在することを許すのは一体誰なのか。実存という概念を承知するのなら、鎖に繋がれていないその脚で何処までも歩いて行けるはず。けれども私はこうやって変わり無い日々を引きずっている。私に必要なものは?それは学であり、義務であり。つまるところ私という存在の罪を償うための行動の積み合わせ。どういうわけか私はこの世界に対して巨大すぎる罪を背負っているようです。死によって罪を洗い流すのならそれもまた良いのかもしれませんが、そのような恐ろしい行為はもう不可能です。いや実際は罪なんて背負っていません。けれども長らく付き合い続けているこの精神の重りは私に罪を錯覚させるに充分な確かさを持っているのです。だから贖罪を続けなければなりません。学んで、得たものをこの社会に還元する。それが私の行動原理になっているようです。正直ものすごくムカつきます。望んでもいないのにこうやってタンパク質の皮を被り、ありとあらゆることを強制され、真人間としてこの社会を動かすことを義務づけられる。どうしてですかね。私は基本的に24時間365日反抗期営業なので、何かに縛られるのが大嫌いです。好きにさせてくれ。あれ?けど好きにすることが私には出来るのでしょうか。凡人の極み、才能は無い、人格は歪んでいる、ついでに足が短い。なるほど。好きにする資格も無いのに何故私はこうやって騒いでいたのでしょうか。凡人は凡人らしく自我を抹消して義務を為す。それが私にはお似合いです。娯楽も必要ない。私に必要なのは義務だけだとようやく気づけました。義務に嫌気がさしたら時たま気晴らしでもしてまた義務に戻りましょう。このような生に意味があるのか?面白くないじゃないかと思うのも仕方の無いことです。しかし私にはその資格が無い。楽しむ資格が無い。楽しむ才能が無い。楽しむことが出来ない。楽しみを見付けようと様々なことに手を出しましたが長く続いたことはありません。楽しみが分からないのなら粛々と義務を為していれば良い。これなら誰からも疎まれない。まぁそのような生き方は孤独だと思いますが、そもそも私が自身の孤独を埋めるためだけに他者を犠牲にするなどエゴイズムの極み。雪山に佇む針葉樹のように鋭いエゴイズムによって己を律し、そして他者も律するのならそれはそれで許されるかもしれません。けれども私のように他者を犠牲にしてでも自身の欲求を実現させる、汚らしく腐臭を放つエゴイズムには憐憫すら向けるに値しない。だから私は孤独でいるべきです。Solitudeを気取ってピエロになっていれば良い。それで狂うならそれはそれ。全てがどうでも良い。もう疲れたので適当に義務を為して過ごします。

本日国家試験を受けてきました。その辺の学生ならば8月頃から受験勉強を始めるのに、私は勉強を始めるのが12月になってしまいました。何故ですかね。ボス?聞いてる?まぁそれはそうとして。朝はコーヒー1杯、昼食は500円の学食、夕食は茶碗飯に味噌汁とちょっとしたおかず(+大量の煙草)という生活が長く続きました。食事を取るとすぐに眠くなるタイプなので、こうやって勉強に打ち込むためには食事を制限しないとやってられないのです。空腹は正直辛くないのでまぁ良い感じで勉強に打ち込めましたね。結果はボーダーラインをちょっと上回った程度かな。明日正確な自己採点をする予定ですけど多分大丈夫だと思います。実は試験直前の模試で79/200という凄惨な点数を取ってしまったのですが(合格ラインは120/200)、そこから全身火だるまになりながら勉強しました。そして試験1週間前には過去問で118/200まで点数を上げて本番を迎えたわけです。身体的な問題はあまり無かったのですが、煙草を吸ってるときに涙がダバダバ流れ始めたり、常にめまい動悸胃痛、そして試験当日のことを考えると縮み上がる胃袋、落ち着こうとして椅子に深く座った途端に嗚咽が漏れた時は自分でもびっくりしました。けれども当日になるともうどうしようも無くなるのでそう言った不調も何処かに消えてしまいました。そして地図を適当に見て会場を目指したら20分ほど逆方向に歩いてしまい、予定より30分遅れ到着する余裕綽々のプレイング。肝が据わっているのかどうか自分でも分かりません。解答中はあまりにも集中しすぎて私が今国家試験を受けているという事実を完全に忘却していました。多分あれが西田幾多郎の言う「純粋経験」なのかもしれない、と試験終了後に思いました。まぁとんでもなく疲れたんだけど。

あぁ疲れた。疲れた。しばらく休みたいけれども多分すぐ研究始まっちゃうなぁ嫌だなぁ。まぁいいやおやすみなさい。

 

2021年を振り返る

今は東京の実家にいる。親の話に付き合うもの少々疲れてきた。家では禁煙なので喫煙の欲求も甚だしく、わざわざ隣駅の喫煙所まで歩いている毎日だ。つまり実家ですることが無く暇を持て余している。ならば迫りくる国家試験の対策をすれば良いのだろうが、そのやる気は全く湧いてこない。なので暇にあかせて今年何があったかを月別に振り返ってみようと思う。

 

 

1

感染症の流行もあって北海道の自宅で一人あつ森を楽しみながら年越しを迎えた。これはこれで楽しかったがやはり一抹の寂しさがあったのは確かだ。とは言ったものの、年のはじめから課題に追われていたので年越しを祝う気にもなれず、3が日が終わった直後から演習に音を上げていた。外は雪に閉ざされ、感染症で満足に出歩くこともできずにフラストレーションが溜まってゆく毎日。けれどもスプラトゥーンの大会を開催するために無理やり行動を起こし、参加した他の運営とのミーティングなどを重ねていた。つまり疲れるのだ。日記には「疲れた」「演習が辛い」「外を歩きたい」といったことが何回も書かれている。

 

2

雪は更に深くなり、私は更に鬱々としている。空は厚い雲に覆われて色彩を失い、夜を照らすナトリウム灯と演習で見る血液だけが色の刺激を私に与えていた。そして来年度の研究室の配属がこの月に決定した。第一志望の研究室に配属されることはなく、第2希望の研究室にこちらの意見を聞かずに配属された。成績での配属ではなく学生の熱意を見て配属を決定すると担任は言ったが、個人的な面談を複数回申し込み、実際に見学もした私が何故第一志望に配属されなかったのか。正直今でも腹が立っている。こうして私のブラック研究室投獄生活が始まるのだった。日記には「味覚が消えた」とだけ書かれている。

 

3

進級が決定してある程度上機嫌なのも早々に大会の開催が迫り忙しい日々が続いていた。そしてこの時期は来年度のサークルにおける新歓活動を開始する時期でもある。つまり忙しい。そして中途半端に動画編集スキルを持っている為にサークルの紹介動画も作る羽目になった。つまり忙しい。大会が終了して束の間の急速、そして感染症の流行がある程度落ち着いたのでほぼ1年ぶりに帰省した。北海道と異なり桜が舞う景色にいくらか心を踊らせたが、4月からのことを考えるとやはり陰鬱になってしまった。ボスと日本語での円滑なコミュニケーションを期待できないことが一層私を陰鬱にさせた。日記には「空港までのモノレールから見える海は老婆のように皺だらけで空の向こう側には色あせた太陽がだらしなく寝そべっている。この先の私をせせら笑うように。」と書かれている。

 

4

新しい生活が始まった。研究室では日本語が通じず、計測機器のマニュアルはそもそも存在しない、帰りは常に20時以降、そして毎日の進捗報告に2時間以上を費やす。忙しいどころの話ではない。このままだと投稿から失踪しかねないと直感したのでシリーズ完結のために動画撮影もタスクに加わった。つまり忙しい。そしてサークルの新歓活動。4月は忙しかったという記憶しかない。日記には「相変わらずこの町は風が吹いていて、私の気分を転がし遊んでいる。」と書いてある。

 

5

研究室で一緒に作業を行っていたペアの学生が音を上げてくれたおかげで帰宅が1時間早くなった。ほんの少しだけ余裕が生まれ、春の陽気にも恵まれなんとか動画シリーズを完結させた。しかし余裕が生まれたとはいえ忙しすぎることには変わりがない。GWの休暇でいくらか回復した体力は再び研究室で削られていった。日記には「漸く春の陽気が感じられるようになり、植物が萌芽する香りを匂いで感じ取ることが出来た。」と書いてある。

 

6

研究室のストレスが限界まで積み重なったのか、あらゆる娯楽に興味が失せてしまった。喫煙も同様で、何の苦も無く禁煙が始まった。歳を重ねた月であったがもう誕生日が嬉しくもなく、こうして失われる若さ、しかも周回遅れの人生で周囲よりも余計歳を重ねる事実が悲しかった。祝日もなく延々と続く平日と研究室、しかも通常の講義も行われているので疲労とストレスはミルフィーユのように厚い層を成す。娯楽が消え失せ、ニコチンも味方をしない。おそらく今年の中で最も辛い季節だったのかもしれない。日記には「梅雨が存在しない地では雨に潤った紫陽花を見ることも叶わない。色あせた視界に加えて無為に積み重なる年齢、死すらも意識できない。」と書いてある。

 

7

予定ではすでに研究が終了し、発表の準備を始めるはずだった。現実はどうだ。全く終了する兆しが見えない。ストレスが積み重なって軟骨ピアスを2つ開けた。場所はヘリックス。合計5つのピアスを付けることになった。この痛みが次の日の活力になると思っていた。そして実際に活力になりなんとかして7月を乗り切った。そういえばこの時期に研究室の先輩が私のピアスを見て自分も開けたくなったと、シンプルで可憐なファーストピアスを付けて私にそれを報告してきた。自身の行動が他人に影響を与えた初めての体験だった。日記には「腫れるから保冷剤を常に耳にあてている。氷が溶ける音はこの先の夏を予感させる快い音だ。」と書いてある。

 

8

やっと卒業研究が終了し、国家試験の勉強が始まるかと思いきや院試の準備で全ての時間が消えた。結果は当然のように合格であったが、面接で聞かれたことに腹を立てたのを覚えている。「将来どのようなキャリアを積んでいますか?」と言われてもそもそも生きてすらいない私には答えることも出来ず、嘘に嘘を重ねて胃を縮めながら返答した。日記には「機嫌が悪い。」とだけ書かれている。

 

9

卒業研究が終了し、院試も終わったが今度は卒論の執筆に追われる日々だった。しかしこうやって常に何かしらに追われていた為か自身のことを全く省みることがなくある意味健全に過ごすことが出来た。日記には「恐らく、この夏は自身のことを考えなかった。寛解が近いのか。」と書かれている。

 

10

卒業研究が終了、卒論も提出したら今度は病院実習が始まった。けれどもこの感染症の流行を警戒して病院での行動を最小限にする必要があったので、週に1回程度の登校で済んだ。じゃあ私は何をしていたかというと、先輩の研究とデータの解析だ。来年も研究を続ける私はその下準備として1日最高14時間の解析を続けた。地獄だった。先輩の手伝いが解析からの逃避手段になっていたくらいである。それと並行して病院実習。疲労とストレスが積み重なり酒を手に取る機会が増えた。この時期から、限界まで飲んで記憶をなくすという愚かとしか表現しようのない飲酒習慣が始まってしまう。日記には「解析が終わらない。」と書かれている。

 

11

病院実習が終了した。あとは国家試験に向けて勉強するだけである。そう、国家試験の勉強をするだけで良いのだ。では私は何をしたか?先輩の研究を手伝っていた。クラスメイトも余裕が出来たのか私を宅飲みに誘い、その結果私は言う必要のない情報を漏らしてしまった。11月は気が抜けたのか日記を書いていなかった。

 

12

先輩の研究も漸く一段落した。やっと国家試験を始められる。安心して一人勉強を続けているが、人と話すことが減ってしまった。正直言って寂しかったので秋頃に某フレンドから「ラジオやってみたら」という言葉をもらったことを思い出し、始めてみた。これが以外にも楽しい。普段自身が考えていることをより深く再考できるし、生活の解像度が上がって常に話になりそうなネタを探すようになった。これは今後もできるだけ続けていこうと思っている。そして年末オフ会。詳しいことは記述しないが健全に酒で潰れ、実に楽しく過ごすことが出来た。今年も終わる。

 

 

今年は正直忙しすぎた。そして「辛い」と何回も言った年だろう。せめて帰省先から戻るまでは休もうと思う。

影で貶す

先日学科のクラスメイトと宅飲みをした。それ自体は大して面白くなかったのだが、この飲みで一つ面白い情報を聞くことが出来た。

私は医療系の学生なので病院で実習をする必要がある。病院内の様々な科をまわって話を聞いたり、そして事前に指示された課題をこなしてその答え合わせをしたり、ということをしていた。その中でとある科(以下A科)での実習があった。予定は詰まっているので、私達の班がA科での実習を終了した直後に別の班も引き続きA科の実習を行った。つまり、A科の担当者は私の班に様々な実習を指導した後、後続の班を指導した。この後続の班に飲み会のメンバーが参加していたのだ。そして、そのメンバー曰く「病院実習なのに男であんなに髪を延ばしているのは常識を疑う。気持ち悪いので病院に来て欲しくない。」という言葉をご丁寧にも直々に聞いたという。

この学科で長髪の男性は私だけである。これを聞いたときにまず私は笑ってしまった。私が属する学科は病院への就職を強制されていない。事実私は病院以外への就職を視野に入れて研究を進めている。実習の規則では「長髪の場合はヘアゴムで縛ること」と書かれているので私はそれに従っただけなのに、私が「男性で長髪である」ことが気に入らなかったらしい。何よりも面白いのが「本人がいない所を選んで」指導したという事実である。つまり、私にこの指導を直接せず、私に伝わることがない可能性も考慮できる方法で言ったということ。何故この担当者は私に直接指導しなかったのか?これは推測だが、そもそもこの行為を指導と認識せず、他の生徒への「愚痴」、もっと曲解して捕らえるならば「陰口」としたのかもしれない。

面白い。人間とは実に愚かで面白い。この周辺地域で一番の規模を誇る病院でさえ、このように陰口を言うことしか出来ない人間が働いている。私は大人という存在を過信していた。大人は良識的な視点を持ち、批判するときは本人に直接訴えかけると思っていた。そうか、大人もそこらの餓鬼と同様に己の劣った主観で人を貶しているのだ。

この担当者は若い女性だった。だから何、という訳ではないが実に面白い出来事だった。人間ごときが他人の容姿を貶す資格があるというのか。なるほど、大抵の人間は本人に直接貶す勇気が無いからこうやって影で人を貶しているのか。無様である。

牙を剥くsolitude

私が病人だからそうなのか、それとも生来の気質なのか全く分からないが、私はこの先続くだろう孤独に恐怖し、気が狂いそうになることがよくある。今の私はまだ若い。若い故に孤独をsolitudeと気取って痛々しい人間を演じながら遊びほうけるのは許される行為だと思っている。けれども、中年を経て私が高齢者となった時でもその孤独に耐えられるとは思えない。そうなるとこの孤独を埋めるのは何か。

人間の成長に沿って孤独を埋める方法を俯瞰してみると、真っ先に思い浮かんだのは家族だった。私の家族は家族という単位を一種の機能、若しくは契約としての集団と認識していて、よくある愛という感情を一切持ち込まずに生活していた。とりわけ母親は子供達を立派は作品にするべく様々に子供へ手を加えた。結果失敗作が出来上がったのだから私としては笑ってしまう。それはそうとして、そうやって創造主と作品の立場で20年近く過ごしたために、作品は創造主から離れた途端自身の拠り所を失ってしまった。私を保証する存在が居なくなった。つまり孤独を理解したのだ。この孤独を埋めるには何をすれば良いのか私は悩み、手段を探し始めた。そうして見つけたのが承認欲求である。幸い私は病によって承認欲求を飼い慣らすことに成功し、SNSでよく見かける承認欲求お化けにはならなかった。けれどもこの承認欲求というものが僅かに孤独を埋めることに気づき、こうやってネット上で訳の分からないことを呟いたり、喚いたり、時々は嗚咽を漏らしている。これは正解なのか?

孤独を埋める手段が家族から承認欲求に移動してしばらく経過し、自身の病によって飼い慣らした承認欲求はあまり役に立たないことに気がついた。そして新たに気付いたのは「私は何故孤独を感じるのか」という原初の疑問だった。その答えを私は人間の創作物に求めた。音楽を聴き、絵画を見つめ、思想の海に潜り、そして他ならぬ私が何者なのかを探し続けた。人間は美しい創作物よりも劣った存在であるという身勝手な考えに基づいて、私はこの無機物達と真剣に向き合っていた。けれどもそれらから返答が返ってくることは一切無く、自身の存在を自問自答しても負の循環が奔流となり不安を増幅させる始末。結局私は理由も無く孤独になっていることに気付いた。そして無機物は私が孤独から目を逸らす為の気晴らしに過ぎないということも否応なしに理解させられた。そうして「世界はまさしく地獄にほかならない。そして人間は一方でその中でさいなまれている亡者であり、他方では地獄の鬼である」という言葉の通り亡者である自身に絶望していた。人間は無機物よりも劣った存在だと思っていたが、最早なりふり構っていられないので私は人間にも孤独を埋める可能性を探し始めた。

人間を使ってこの孤独を埋める。勿論この人間とは人格を持ち、私とは全く違う存在である。良いのか?相手は人間。人間にこの孤独を埋めさせる、言わば私の「孤独を埋めたい」という純然たるエゴイズムに赤の他人を巻き込む理由が何処にあるのか?そもそも私が他人をそうやって道具のように使う資格など全く無い。このエゴイズムを「そうである」と開き直って肯定し、相手に埋めさせるほどの度胸も無い。中途半端に私は他人を認めてしまっているが為に、そして孤独を埋める大仕事の報酬となるかもしれない愛という感情を理解していないが為に、私は人間を「取りあえずの孤独を埋めるインスタントな存在」として扱ってしまっている。つまり私は人間を人間として扱うことも出来ないのだ。そのような存在の屑は恐らく死ぬまで孤独に苛まれて狂い死ぬのがお似合いかもしれない。

こうやって様々に無駄な思考を重ねていても今は全く問題ない。solitudeを楽しんで、同級生やこれを読んでいる誰かと遊んで孤独から目を逸らすことが出来る。けれどもこのsolitudeはいずれ私に牙を剥く。孤独を押しつけ私を殺す。その前に私がこの解答を見つけられるのか。

近況_20211212

冬が始まったはずです。なのにどうしてこんなにも暖かいのでしょうか。秋服で難なく外を歩けるのは確かに嬉しい。嬉しいけれども身を刺す寒さがあってこその冬で、そういう時のブラックコーヒーの美味しさが欲しいのです。そんなことを言っていたら明日からここ北海道では雪が降り始めるらしいです。先月の終わりに降った雪はその日のうちに全て溶けてしまったので今回はちゃんと冬を演出して欲しいものですね。そうは書いたけど凍ってツルツルの道を歩くのやっぱり嫌です。このままでいいかな。

 

先週大学の講義で1年ぶりに採血をしました。私の血管は採血の度に褒められる、具体的に言うなら駆血帯を使わずとも血管が盛り上がる優秀血管ちゃんなので採血「される」のは全く問題が無いことです。問題は採血「する」こと。初めての採血実習は忘れもしません。私は1回のミスで採血「する」ことに成功しましたが、ペアの学生は私の血管から血液を採ることが出来ずにパニックになってシリンジを放り投げました。あれは怖かった。というか針が4cm入っても逆血が認められないのはどう見ても血管に当たってないよね。その時点で針抜いて欲しかったな。

そんなわけで今回のペアは駆血帯を使えばしっかり血管が確認出来ました。まぁ今回はミス無く出来るだろうと思っていました。ところが、穿刺してシリンジを引っ張るときに急に手の震えが始まりました。ペアの学生はその光景に思わず笑い出しましたが(というか穿刺されてて笑えるのすごいな)、私は必死です。震えを抑えようとするとますます増幅される意味不明な現象。幸い震えるのは右手だけで、腕を使って右手の震えを無理矢理押さえ込んだので針が抜ける、更に深く穿刺して神経を傷つけるといったことはなく(豆知識:採血の際は深部に走行する神経を傷つけないように、そもそも血管直下に神経が存在しない肘正中皮静脈に穿刺します)、無事採血は完了、手を震わせつつチューブに血液を注入できました。書いてて思ったけどこれ無事じゃないですね。実際の病棟でこんなことになったら大騒ぎですよ。

さて、手が震えたのは何故かと私は考えます。侵襲的行為への心的負担、つまりストレスか?それとも酒か?酒が原因ならその他の精密な行為にも手の震えが発生するはずですが、この後の作業では一切手が震えなかったことから酒が原因にはなっていないと推測します。ならばストレス。ここを見ている貴方なら既に知っていることですが、私には私自身が付けた傷痕が深く残っています。つまり侵襲的行為に関して自らの経験が思い出され、過剰なストレスに曝された結果手が震えた。まぁこれでしょうね。自らの過ち、罪、絶望、希望、喜び、依存など様々な要素がこの傷痕に練り込まれていますが、それらが今になって私に牙を剥くとはね。徐々に寛解の道を進んでいたのに無情というかあーあ、みたいな気持ちになりました。病院就職するなら恐らく採血を避けることが出来ないので別の道を探します。仕方ないね。

 

昨日サークルの飲み会でまーた死にました。セーブして飲んでいたのに死にました。私は日本酒が無理なようです。日本酒好き勢と飲めないことが悲しいですね。それはそうとして生牡蠣美味しかったです。生牡蠣の上にアホみたいな量のイクラがのっててもう味が罪深い。そして生牡蠣の上にトマト、バジル、オリーブオイルをのせたこちらの生牡蠣。牡蠣の臭みがバジルによって消されていて、トマトの爽やかさと牡蠣のまろやかさが互いを高め合う。これは罪深いどころが原初の罪を彷彿とさせる味でした。飲み会の中盤から死んでいたのでこの牡蠣を沢山食べられなかったことが本当に残念です。6つしか食べられなかった。まぁ行こうと思えば行ける場所にあるんだしいつかまた行こう。そしてとても年上の先輩達に奢ってもらおう。    

f:id:Toru_Motose:20211212193840p:plain

図1.罪深い生牡蠣

 

世間はそろそろクリスマスらしいですよ。私は今年も適当にケーキ買って集まって適当にご飯を食べるクリスマスになりそうです。

 

 

近況_20211121

明日は雨、そしてそろそろ雪が始まるそうです。だから積もる前に家中の段ボールや雑紙などをゴミステーションに捨ててきました。深夜の事なので回りは車もないし、気分良く月やシリウスを見上げながら歩いていたら赤信号を渡りそうになっていてアホらしかったけど。天文部という陰キャの集まりに所属していたので、夜空に雲が無いと常に上を見上げます。冬が近づいたので太陽以外で最も明るい恒星のシリウスがよく見えますね。私にとって夜空は暗幕のイメージを持っています。その暗幕に針を刺すとほんの小さな穴が開き、穴を通して向こう側の光が見えます。針の太さが星々の明るさに比例しているのです。つまり月はその中でもひときわ大きな穴。もしかしたらその穴から誰かが私達を覗いているかもしれないね、と高校時代同級生に言ったらドン引きされました。それはそう。言わなきゃ良かった。雪が降れば空は雲に閉ざされ、この大地北海道で星を見ることも出来なくなります。年末に帰省したら天体望遠鏡でも引っ張り出してみようか。

上記のような事を考え、感じ、書けるようになりました。また希死念慮は消えぬものの薄らぎつつあり、精神的な回復を感じられるようになった最近です。主治医は来年の春から断薬を始めると言っていたので、いずれ私は病人ではなくなるようです。生まれてからのほぼ半分をその病と共に苦しみ、過ごしていた私は健常者の皮を被って生きることを身に付けました。そうやって長い間ニセモノを演じていた私が、どうやら傷痕があるとは言え普通に人間となれるようです。正直不安です。正直不服です。私の良くない性質として、自らの病状をもアイデンティティの一つとして認識してしまい、寛解してそれが消え去ることに戸惑い、不安、喪失を感じてしまうなんてことがあります。私にとってこの病は私を苦しめる元凶であり、同時に私がピエロを演じる原動力でもあります。ピエロになることで私は様々な何かしらを手に入れました。自身のイメージだったり、友人、つまり貴方たちだったり。寛解することはこれらを失うことにも繋がりかねない。なにより、寛解すれば人生の半分は「病」に侵されていた期間であり、つまりデキモノのように扱うことを強いられそうな予感がしています。病人自身がピエロを演じるのはまだ許されるけど、寛解したならばその行動はもう許されなくなると私は思っているので、このまま人肌で遅効性の毒につかっているのも選択肢の一つかなと考えてしまっていてもうなんだか自己嫌悪。果たして私は寛解した者となれるのか。それは全く分かりません。

この前、大して親しくないクラスメイトから宅飲みに誘われました。宗教勧誘か?と身構え、そういったことを言われたらお得意の露悪的行為で返り討ちにしてやろうと思って了承したけど実際にそういう面白そうなことは特になく、普通の人間達が普通に酒を飲んで普通に会話するつまらない飲み会でした。普通の大学生は美学だ哲学だとか言わないんですね。バイト何してるの?へぇそうなんだぁとかそんなの聞いてても面白くないよ。心を許した人間相手なら私もベロベロになって意味不明なことをわめき散らしますが、この場でそんなことはしたくないので、ビールの炭酸で腹を膨らませ、酔い30%程度で終わらせるつもりでした。けれども、酔い30%での立ち回りを経験していなかったために私がバイであると口を滑らせてしまいました。というか野郎共の軽薄なそういう会話にキレた(当社比)私が悪いんですけど。なんだか書いてて腹が立ってきました。その時は私がピエロになることでなんとか場を保ちましたが、なんだか今更書いてて腹が立ってきました(n=2)。次も誘うね、とか言われたけど多分行かない。いつもの身内と飲んで互いを罵倒してまた飲む方が楽しいです。皆も酔ったときの行動には気をつけようね。それで思い出したけど私こっちで前科があったわ(泥酔プラベ中に寝落ち)。まぁいいや飲みます。BEEFEATERグビー。

人を好きになれるか?

幼稚園児の頃の私は同性の幼なじみと裸で抱き合っていた。彼は男役として。私は女役として。小学生の頃は周りでしきりに「好きな人」談義がされていたが、その頃から「好き」という概念が理解出来ずにいた。「好きな人はいる?」という問には取りあえず見た目が良い人間の名前を挙げていた。頭蓋骨骨折寸前まで殴られたりした小学生時代は思い出すにも苦労するが、そもそもクラスメイトが言っていた「好き」は全く理解出来なかった。

男兄弟の家庭で育った私はそもそも異性という存在が無く、母親は性教育に関して凄まじい負の感情を抱いていたのでそういった知識を得たのは14歳だった。母親の教育、いや、刷り込みというのは恐ろしいもので、今の私はトルストイの「クロイツェルソナタ」に諸手を挙げてしまうような人間になってしまった。性を毛嫌いし、かといって自身の性を決めかねる。中学生特有のいわゆる性欲の権化だった時代は男女構わずその対象としていたが、十代半ばにして鬱、そして自傷を身に付けてしまった私は性欲という存在を悪の権化のように取り扱い、それは今現在もその概念は私から全く離れずにいる。その後色々あって母親にだけはカムアすることになったのだが、母親という存在は存外子供の振る舞いを正確に認識しているようで「貴方が俺という一人称を使っていたのは無理があった」と言われた。

セクシャルマイノリティ希死念慮、その他溢れるほどの要素。それらは私をねじれた存在にするには充分過ぎた。今の私は人を好きになるという概念を理解出来ない。つまり愛を知らない。恩はなんとなく理解出来る、そして両親に対してこの恩を返すことが出来ないことに一抹の罪悪感を抱くことがあるが、愛を理解することは永劫叶わないだろう。人生の遠回りをして大学生になった今でもクラスメイトが彼氏は、彼女はと言っている会話についてゆくことが出来ずに適当な相槌をうっている。人を好きになるとは?愛とは?私の年齢なら結婚していてもなんらおかしくは無い。けれどもその感情を理解出来ないのだ。

そもそものはなし、私の性別は何なのか。不思議であり、全くのふざけた解答だが、私は自身の性別が分からない。分からないのだ。生物として考えるなら、Y染色体を持っている以上その性別は限定される。けれども、私は自信を「男性である」と規定した覚えは全く無いし、かといって「○○である」と決定した覚えも無い。私は性別という概念を「肉体的に自身の性別が何であるか」「精神的に自身の性別が何であるか」「どの性別を思慕するか」の3次元かつ連続的なパラメータと認識している。このパラメータは連続的であるので、いくらでも白黒が混ざり合った灰色に自身を置くことが出来る。だから私はその中にいる「灰色の存在」であるし、それに関しては特に何も思っていない。

だから社会的に大多数、それこそほぼ100%の人間が理解している「愛という概念」を理解することが出来ないはみ出し者として私は生きている。いつか誰かを思慕できるようになるのか。いや、それはないだろう。私は何も分からずに死ぬだろう。

 

最近酒を飲まないと一日が終わらず、そして酒を飲むとこうやって無駄な思考に溺れ、自身の存在を疑ってしまう。将来はアルコール依存症になっているかもしれない。