Twitterには収まらないうだうだを書く。Twitter:@motose__

2021年を振り返る

今は東京の実家にいる。親の話に付き合うもの少々疲れてきた。家では禁煙なので喫煙の欲求も甚だしく、わざわざ隣駅の喫煙所まで歩いている毎日だ。つまり実家ですることが無く暇を持て余している。ならば迫りくる国家試験の対策をすれば良いのだろうが、そのやる気は全く湧いてこない。なので暇にあかせて今年何があったかを月別に振り返ってみようと思う。

 

 

1

感染症の流行もあって北海道の自宅で一人あつ森を楽しみながら年越しを迎えた。これはこれで楽しかったがやはり一抹の寂しさがあったのは確かだ。とは言ったものの、年のはじめから課題に追われていたので年越しを祝う気にもなれず、3が日が終わった直後から演習に音を上げていた。外は雪に閉ざされ、感染症で満足に出歩くこともできずにフラストレーションが溜まってゆく毎日。けれどもスプラトゥーンの大会を開催するために無理やり行動を起こし、参加した他の運営とのミーティングなどを重ねていた。つまり疲れるのだ。日記には「疲れた」「演習が辛い」「外を歩きたい」といったことが何回も書かれている。

 

2

雪は更に深くなり、私は更に鬱々としている。空は厚い雲に覆われて色彩を失い、夜を照らすナトリウム灯と演習で見る血液だけが色の刺激を私に与えていた。そして来年度の研究室の配属がこの月に決定した。第一志望の研究室に配属されることはなく、第2希望の研究室にこちらの意見を聞かずに配属された。成績での配属ではなく学生の熱意を見て配属を決定すると担任は言ったが、個人的な面談を複数回申し込み、実際に見学もした私が何故第一志望に配属されなかったのか。正直今でも腹が立っている。こうして私のブラック研究室投獄生活が始まるのだった。日記には「味覚が消えた」とだけ書かれている。

 

3

進級が決定してある程度上機嫌なのも早々に大会の開催が迫り忙しい日々が続いていた。そしてこの時期は来年度のサークルにおける新歓活動を開始する時期でもある。つまり忙しい。そして中途半端に動画編集スキルを持っている為にサークルの紹介動画も作る羽目になった。つまり忙しい。大会が終了して束の間の急速、そして感染症の流行がある程度落ち着いたのでほぼ1年ぶりに帰省した。北海道と異なり桜が舞う景色にいくらか心を踊らせたが、4月からのことを考えるとやはり陰鬱になってしまった。ボスと日本語での円滑なコミュニケーションを期待できないことが一層私を陰鬱にさせた。日記には「空港までのモノレールから見える海は老婆のように皺だらけで空の向こう側には色あせた太陽がだらしなく寝そべっている。この先の私をせせら笑うように。」と書かれている。

 

4

新しい生活が始まった。研究室では日本語が通じず、計測機器のマニュアルはそもそも存在しない、帰りは常に20時以降、そして毎日の進捗報告に2時間以上を費やす。忙しいどころの話ではない。このままだと投稿から失踪しかねないと直感したのでシリーズ完結のために動画撮影もタスクに加わった。つまり忙しい。そしてサークルの新歓活動。4月は忙しかったという記憶しかない。日記には「相変わらずこの町は風が吹いていて、私の気分を転がし遊んでいる。」と書いてある。

 

5

研究室で一緒に作業を行っていたペアの学生が音を上げてくれたおかげで帰宅が1時間早くなった。ほんの少しだけ余裕が生まれ、春の陽気にも恵まれなんとか動画シリーズを完結させた。しかし余裕が生まれたとはいえ忙しすぎることには変わりがない。GWの休暇でいくらか回復した体力は再び研究室で削られていった。日記には「漸く春の陽気が感じられるようになり、植物が萌芽する香りを匂いで感じ取ることが出来た。」と書いてある。

 

6

研究室のストレスが限界まで積み重なったのか、あらゆる娯楽に興味が失せてしまった。喫煙も同様で、何の苦も無く禁煙が始まった。歳を重ねた月であったがもう誕生日が嬉しくもなく、こうして失われる若さ、しかも周回遅れの人生で周囲よりも余計歳を重ねる事実が悲しかった。祝日もなく延々と続く平日と研究室、しかも通常の講義も行われているので疲労とストレスはミルフィーユのように厚い層を成す。娯楽が消え失せ、ニコチンも味方をしない。おそらく今年の中で最も辛い季節だったのかもしれない。日記には「梅雨が存在しない地では雨に潤った紫陽花を見ることも叶わない。色あせた視界に加えて無為に積み重なる年齢、死すらも意識できない。」と書いてある。

 

7

予定ではすでに研究が終了し、発表の準備を始めるはずだった。現実はどうだ。全く終了する兆しが見えない。ストレスが積み重なって軟骨ピアスを2つ開けた。場所はヘリックス。合計5つのピアスを付けることになった。この痛みが次の日の活力になると思っていた。そして実際に活力になりなんとかして7月を乗り切った。そういえばこの時期に研究室の先輩が私のピアスを見て自分も開けたくなったと、シンプルで可憐なファーストピアスを付けて私にそれを報告してきた。自身の行動が他人に影響を与えた初めての体験だった。日記には「腫れるから保冷剤を常に耳にあてている。氷が溶ける音はこの先の夏を予感させる快い音だ。」と書いてある。

 

8

やっと卒業研究が終了し、国家試験の勉強が始まるかと思いきや院試の準備で全ての時間が消えた。結果は当然のように合格であったが、面接で聞かれたことに腹を立てたのを覚えている。「将来どのようなキャリアを積んでいますか?」と言われてもそもそも生きてすらいない私には答えることも出来ず、嘘に嘘を重ねて胃を縮めながら返答した。日記には「機嫌が悪い。」とだけ書かれている。

 

9

卒業研究が終了し、院試も終わったが今度は卒論の執筆に追われる日々だった。しかしこうやって常に何かしらに追われていた為か自身のことを全く省みることがなくある意味健全に過ごすことが出来た。日記には「恐らく、この夏は自身のことを考えなかった。寛解が近いのか。」と書かれている。

 

10

卒業研究が終了、卒論も提出したら今度は病院実習が始まった。けれどもこの感染症の流行を警戒して病院での行動を最小限にする必要があったので、週に1回程度の登校で済んだ。じゃあ私は何をしていたかというと、先輩の研究とデータの解析だ。来年も研究を続ける私はその下準備として1日最高14時間の解析を続けた。地獄だった。先輩の手伝いが解析からの逃避手段になっていたくらいである。それと並行して病院実習。疲労とストレスが積み重なり酒を手に取る機会が増えた。この時期から、限界まで飲んで記憶をなくすという愚かとしか表現しようのない飲酒習慣が始まってしまう。日記には「解析が終わらない。」と書かれている。

 

11

病院実習が終了した。あとは国家試験に向けて勉強するだけである。そう、国家試験の勉強をするだけで良いのだ。では私は何をしたか?先輩の研究を手伝っていた。クラスメイトも余裕が出来たのか私を宅飲みに誘い、その結果私は言う必要のない情報を漏らしてしまった。11月は気が抜けたのか日記を書いていなかった。

 

12

先輩の研究も漸く一段落した。やっと国家試験を始められる。安心して一人勉強を続けているが、人と話すことが減ってしまった。正直言って寂しかったので秋頃に某フレンドから「ラジオやってみたら」という言葉をもらったことを思い出し、始めてみた。これが以外にも楽しい。普段自身が考えていることをより深く再考できるし、生活の解像度が上がって常に話になりそうなネタを探すようになった。これは今後もできるだけ続けていこうと思っている。そして年末オフ会。詳しいことは記述しないが健全に酒で潰れ、実に楽しく過ごすことが出来た。今年も終わる。

 

 

今年は正直忙しすぎた。そして「辛い」と何回も言った年だろう。せめて帰省先から戻るまでは休もうと思う。