いつか見た夕日や薄明の記憶、若しくは朝露に輝く菖蒲の香り。誰も居ない職場での勤務中に、そういった幻覚を捕らえることが増えたように思われます。
一日の中で最も印象に残る時間帯を述べよと質問された時、貴方はどのように答えますか?私はその答えを数十年考えた結果、日の出か日没の二択までに回答を絞り込むことができました。真昼の碧く染まりすぎて寧ろ黒味掛かっている空も私の記憶には強く根を張っていますが。前述の二つほどではありません。
【日没について】
夕焼けを見た経験は数多くありますが、数時間にわたって日没を眺め続けたことは恐らく人生の中でも数えるほどしかありません。初めて日没の数時間を見つめたのは高校生の頃でしょうか。文字通り山の中にあった当時の高校は、当たり前のように屋上への立ち入りが禁止でした。けれどもその屋上というのがよくある扉を開けて入るものではなく。垂直はしごを上がって天井扉を押し上げる場所でした。加えて何故か施錠がされておらず、しかも屋上には朽ち果てた学習机と椅子が佇む異様な雰囲気、柵もなかったので飛ぼうと思えばいつでも行動に起こせる場所なのが、より生徒たちを遠ざけていたのかもしれません。普通の生徒は気味悪がって近づくこともない場所でしたが、当時から心身を冒されていた私は昼休みや放課後に一人で屋上に上ることが常習化していました。
あれは夏休み最後の日でした。記録にもそう残されています。文化祭の作業が終了し、各々が帰宅する中、私だけ頭上の夕焼けに誘われるように屋上へ上がりました。熱中症になりかけながら屋外の作業を続けたせいで、全身に表現しがたい不快さがまとわりついていました。受験のことも頭から離れず、つまりは様々なことに追われた結果の逃避先が夕焼けだっただけなのかもしれません。そうして見上げた夕日は、夏の強くしなやかに伸びる雲によってその光を堅く切り取られ、扇型に薄く広がっていました。光にもいろいろな形があることに息を呑み、それをじっと見つめるだけでも様々な発見があります。日没が進むと鳥達は口をつぐんで虫が声を上げ始めることだったり、空は色を変えるのでなく東から広がる夜に覆い尽くされることで闇を迎えることだったり、日が完全に山の向こうに落ちた直後の二分間はヒトが瞼を閉じた時のような光の動きをすることだったり。この体験があるために私は日没という時間に怪しく惹かれているのでしょう。その他に挙げられる日没は今住んでいるところからほど近い峠の日没や、とあるゴミ埋立地の頂点から眺める夕日。これらの日没は街が持つ様々な輪郭を塗りつぶし、果てには瞬く光点が浮かぶだけの暗闇が生まれる様子をよくよく私に見せつけました。同時に夜景がつまらないことを私に学ばせました。暗くなる過程は私にとって魅力的なものですが、暗くなってしまってはもう私にとって無意味なのです。
私が日没に固執する理由をまだ見つけられてはいませんが、その原点は空の単純な美しさだったのかもしれません。
【日の出について】
日の出、という言葉で真っ先に思いつくのはいつもの立ち食いそば屋です。それはまた別のことなので此処には書きません。よくよく思い返すと、私にとって日の出とはおよそろくでもない事が起きる前兆でした。当たり前のことですが、何か悪いことが起きる前には必ず朝が存在し、つまりは日の出を見ている可能性が高いのです。最悪の、様々なことが起こった日の出を今此処に思い返してみましょう。最も古い、嫌な日の出は初めて徹夜をした時のことです。それがいつの事なのか忘れてしまいましたが、兎に角何かの課題に追われていたことは確かです。空がじわりじわりと白くなり、薄明に火が付くのを嫌な気持ちで見つめ、すぐさま課題に戻ったような。詳細は忘れてしまいました。他の嫌な日の出は間違いなく大学受験当日の日の出です。それは現役、一浪、二浪、再受験、どの受験でも等しく、見るだけで吐き気を催す光景でした。どの受験でも結果に満足はできなかったので、あの光景を思い出すと今でも気分が悪くなります。そうして逃げるように進学した結果課題に追われ、単位を諦めて参加した深夜麻雀。全員が気絶するようにして雑魚寝したところから一人抜け出してコンビニで吸った煙草。休日の朝故の静けさと、少々涼しすぎるくらいの雰囲気をまとった日の出がとても綺麗で、これだけの静かな朝を迎えている自身の無能さ、愚鈍さ、惨めさが日光となって眼底に突き刺さる感覚がしたのを今でも思い出します。そして、今でのその光景をまざまざと思い出す、というよりも時たま夢にまで見る日の出。それは精神の激化が急速に進み始めた、八年前の冬の日の出でした。半ばパニックに陥り、教科書の文字が視線からこぼれ落ちる。唐辛子の味がわからなくなる。そういったことを始めて経験したあの時は自身に起こっていることが理解できず、睡眠も取れなくなっていました。気がつけば朝の六時半。東の向こう側には既に何かを燃やし尽くしたかのような紅に染まる朝日。西方が極楽なら、あれは東の地獄から私を殺すために現れた炎なのだ、と最早正常な判断力を失った当時の私は記録にそう残していました。その後、此処でも何度か述べたように休学と退学を繰り返したのです。
こうやって日没と日の出を比較すると、お互い強く印象に残っていることが良く理解できます。強さは同じではあるけれど、他方は箱の中にしまい時たま中身を見るような記憶、一方は強烈な染みのように幾ら擦っても消え失せない記憶。恐らく私は日没を好んでいるようです。
体調の悪化は進む一方です。食事の量は変わっていないはずなのに体重の減少が止まらず、とうとう私が精神に異常を来す前の、肥満体で今以上に幼かった頃のそれまで落ち込みました。不規則な夜勤は人を狂わせます。いいや、丈夫な健常者ならこのような不規則なスケジュールをこなすこともできるのでしょうが、私は健常者ではありませんし、そもそも丈夫でもありません。
いつだったか、私は人生の選択というものを扉と書いたことがありました。眼の前に複数並んだ扉。それを自身の意志で閉じて、選び取った一つの先へ進むことが連続すると。それは全くの誤りだと最近気づいてしまったのです。扉を閉じている最中、まだ開いているどれかの扉から何者かの腕が伸びてきて、私の手首を強く掴む。そしてまだ吟味してもいない扉の向こうに引きずり込まれる。もっと酷い時は足元の穴に落ちる。いずれにせよここ数年のことを通して、私には自身の意志で選択を行えるほどの才覚や気力が全く存在しなかったのだろうと感じ始めるようになりました。今述べた腕や穴に他者の存在というか、私が認識できない何かしらの存在を暗示しているわけではありません。ただ、自身で選択を行おうとしても結局は様々なつまらないことに邪魔されて自身の決定を否定されたり、そもそも眼の前の選択肢が存在しなかったり。そんなことを経験して、壁や障害を前にしても、それらを破壊して自身の選択を決定することができない私に失望やもどかしさを抱いているだけなのです。
死ぬまで投薬が終わらない。その単純な事実がここまで重く私にのしかかるとは思ってもいなかったのです。身体を壊すまで頑張ってみようと確か数年前に何処かで宣言し、実際に去年身体を壊し、今もまた身体を壊し続けています。このような身であっても、自身の意志で選択を行い、その選択に見合う結果を掴み取る強い存在になりたいものです。けれどもそんなことが起こるはずもなく、恐らくはまたしばらくすると心身ともに壊れるのでしょう。それは多分この冬の間に起こります。予感ではなく、最早運命のように、私にはその予想が感覚として掴み取れます。ならば私は今どうすれば良いのでしょうか。それは私には全くわからないことなのです。
手短に近況を伝えます。今積もっている雪は根雪になりそうです。飲酒の量が増えました。自身に嫌気が差しています。耳栓をしないと外出できなくなりました。
冬が始まりました。どうぞ体調にはお気をつけて。
【読み終えた本】