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近況_20211025

最近酒を飲む回数が明らかに増えています。今までは1ヶ月に一回程度、それも付き合いで泥酔しない程度に飲むのが当たり前でした。けれども今年度が始まって煙草をきっぱり止めてから酒がやめられません。基本的にワインとジンを飲むのですが、1回の飲酒でワインの場合は1本、ジンの場合はストレートをショットグラスに3杯くらいのんでしまい、毎回のように記憶を無くしています。この文章もジンが3杯ほど染みこんでいますのでそのうちろれつが回らなくなると思います。

ワインはドイツワインのフロイデ アウスレーゼという甘口の白ワインをよく飲みます。ドイツなので有名な軽い白ワインを飲むのは特に変なことでは無いと思います。まぁ1000円の安ワインを飲んで何を言っているのか。

それはそうとして、最近上等な酒を買いました。私が始めて自分で買った酒はボンベイサファイアなのですが、これを上等にしたスターオブボンベイという酒があります。買っちゃった。ボンベイサファイア蒸留酒なので当たり前のように度数が50%近くあります。それ故結構アルコール臭がキツいのですが、このスターオブボンベイはアルコールのキツさが全くありません。口に含むと華やかな香りが鼻腔を刺激し、飲み込むときは柑橘系のみずみずしく元気な雰囲気を残します。ストレートで飲んでも全くキツくないジンは今まで飲んできたジンでこのスターオブボンベイだけです。危険な酒です。危険です。大切に飲もうと思います。

こうやって最近酒に溺れて生活しているわけですが、最近サークルの先輩に「酔うための飲み方してるから、お前そのうち身を滅ぼすよ」と言われました。ごもっともです。現実の苦しみをぼやかす事が出来るのは今のところアルコールだけです。飲むだけで幸福感が得られるなんてなんとお手軽な手段であるのか、と最近思い始めてきました。そうですね。このような飲み方を続けていけばいずれ死にます。もう死にたくはないですね。けれども世界と私は私に死を強迫します。その強迫に立ち向かう勇気も気概も私にはありません。私の存在を後押しする何かがあればまだ生きる資格を得られるかもしれませんが、そんなものはありません。酒を飲みましょう。

 

記憶というものは実に嫌らしく、忘れようと思っても脳にこびりついた記憶、特に何かしらの概念や物体に貼り付いた記憶という物は簡単に忘れられる物ではありません。何が言いたいのかというと、私は見た、聞いた絵画や曲に当時の記憶がこびり付く性格であるので迂闊に昔聴いた曲を聴くことが出来ないのですね。つまり、中学生の時に聴いた曲を今になってもう一度聴いてみると、あの時に見ていた星空、高速道路を照らすナトリウム灯、月明かりが影を落とす朝4時の山々など、そんな記憶がフラッシュバックして胸を締め付けるのです。だから今まで私は過去に聴いた曲を意図して避けていました。けれども今日はふとしたことがきっかけで、私がまだ13歳だった頃にさんざん流していた曲を聴いてしまいました。ああこれでまだ動悸が激しくなり、胸が締め付けられると思いきや、あれまぁ特に何も起こることはなく、心拍数も正常なまま。

何が理由なのかと私は考え始めました。私にとって過去の私は、今の私とは異なる瑞々しい感覚を有していたと思い込んでいました。それを忘れてはならず、私は過去に持っていて、今は失ってしまったこの感覚を大事に抱きかかえたまま生きるのが一つの義務だと思っていたのです。けれども、よくよく考えてみると、過去の私はそんなに瑞々しい感覚を持っていたのか?と気付いてしまったのです。知識、人生経験、そして自身に対する冷静な視点。それらは今の私の方が明らかに優れています。過去の私は本能の赴くままに生き、そして今の私が日頃考えているような無駄で難解な問に取り組むような力は無く、気概も無い。もしかして、過去の私は今の私以上に愚図で、愚鈍で、醜悪な存在で、その事実を認識したくないが為に、過去の私は記憶の中で美化されていたのか?そう考えると、過去の記憶や感慨に縛られて曲が聴けない、絵画を見ることが出来ないという状況に自らを陥れている私が馬鹿馬鹿しくなってしまいました。

好きに聴いて、好きに見た方が良いですね。過去の私は余りにも幼く、汚らしく、醜く、そして害悪であった。そろそろ過去の私を切り捨てましょう。さようなら。

 

スターオブボンベイは実に素晴らしい酒ですね。ショットグラス5杯分飲んでしまいました。秋も雰囲気が深まり始め、向こうに見える山は冬の準備を始めてその肌を様々な色に染め始めました。私は今泥酔しているので、恐らくこの日記を書いた記憶は残りません。明日この文章を読んで、自身の愚かさを知ることになるのでしょうね。