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切り花

巨大な盆地の中央、母の実家は巨大な納屋があるような田舎にあったのでそこら中に花が咲いていた。春は庭に自生しているフキを収穫しては皮を剥き、真夏は同じく庭に自生している茗荷と紫蘇を摘んで素麺を食べ、秋も同様に庭の柿を軒先にぶら下げ、冬は全てが雪に覆われていた。

その為か都会に一人引っ越し、狭い家で暮ら始めた母は狭い家の狭い庭を熱心に飾り付け、植木鉢を幾つも並べ、リビングには常に切り花を添えていた。庭に植えられていたのは夏のスキー場で配られていた様々な種類の百合、ゴールデンクレスト、サクラソウ、バラ。植木鉢にはクジャクサボテン、小さな桜、菖蒲。室内ではシクラメンカサブランカ。そしてこの狭い庭に不釣り合いで目を引くムクノキ。

小さい頃私はこのムクノキに全く気がつかなかった。高校生の時、日に日に大きくなっていくこの謎の木を母に聞いても植えた記憶が無いと言われ、葉を一枚もいで高校の図書館で図鑑とにらめっこしてようやくその種名を当てたのだ。ムクノキの葉はケイ酸が含まれており特徴的な手触りであるのが特定の決め手になった。種名の特定は達成したがここで一つの謎が残る。このムクノキは何処から来たのか。幼稚園児の頃の私は母曰く、公園へ出掛けるとドングリというドングリ全てを何時間も集め続け、家の庭にばらまく遊びをよくしていたらしい。事実、庭のそこら中にクヌギ、コナラ、カシの幼木が生えていた(環境が良くなかったようで全て枯れてしまったが)。けれどもムクノキの種子はドングリのように幼稚園児の興味を惹くものではない。結局この木が何処から来たのか、その真相は未だに分かっていない。おそらくムクドリの糞が庭に落ちて、その中にあった種子がこうやって育ったのだろう。私よりも歳が若いこのムクノキは春が始まると途端に枝を広げ、秋に葉を散らす前に伸びきった枝を老いた父に散髪されるのが恒例となっている。つまり父がはしごを登れなくなったら伐採されてしまう。いずれ散髪は私が引き継ぐことになりそうだ。同じ家で育った存在を無闇に殺すのはどうも忍びないから。

そのような母の性分を受け継いだようで、私も部屋でポトスと100均で買った種名も分からない多肉植物を育てていた。5,6年甲斐甲斐しく世話を焼き、一人暮らしを始めて家を出るときその世話を母に頼んだはずだが、いつの間にかその姿は消えていた。母の趣味には合わなかったのだろう。それはそうとして、実家に帰省する度に花の存在を思い出し、下宿に戻っては忘れを数年繰り返した私はなんとなく下宿で花の存在を思い出し、切り花を買い始めた。始めはジンの空き瓶に切り花を多くて2本差すだけだったが、これが実に面白い。白百合のように香りが強い花があるだけで、部屋がなんとなく快い雰囲気になる。PCでの作業に疲れ果ててふと横を向けばダリアの鮮やかな色が気分を晴れやかにする。切り花数本で気分が良くなるのだから随分と安っぽい人間と自覚できたが、逆にこの程度の値段で気分転換できるのだから寧ろお得と言えよう。今後も切り花を買い続けるつもりだ。ちなみに毎週我が家を訪ねて深夜麻雀と酒盛りに耽るどうしようも無い連中共は変わってゆく花々にコメントもしない。うち一人にいたっては「造花だと思ってた。」とぬかした。全く。

それはそれとして最近ひとつ、花に関してやってみたいことができた。ひょんな事からとんでもない量の切り花を貰ってしまうのだ。「あーもうどうしよう」といいつつ私は家に転がっている酒瓶(これは実際に転がっている)を総動員して花を生ける。それでも切り花はまだ収まりきらないのでとうとう浴槽、果ては鍋やフライパンを使ってようやく全ての花を生けるのだ。そうやって自分が座る空間すら無くなった部屋で、静かに佇む切り花達が窓からの風で揺れ、水面に波紋を広げている様子を眺めていたい。

これを約30歳の人間が言っている。自分で書いてて少し背筋が寒くなった。何はともあれ、これを読んでいる誰かさんも切り花を買ってみてはいかがだろうか。

 

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