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夏と鈴

夏になると、毎年とあることを思い出す。

 

私が中学生の夏、祖母が死んだ。葬式に出たのは私の家族と伯父だけだった。私が生まれる前に死んだ祖父は骨董収集にのめり込み、借金を重ねて本家から絶縁されていた。祖父は既に入る墓を確保していたので取りあえず死んでも後のことは何とかなったらしいが、祖母は入る墓が無い。葬式を終えて骨になった祖母を仏壇に置くと、祖母の墓をどうするか私の父親と伯父はずっと話し合っていた。墓問題を解決しないと父親は帰れず、即ち父親が運転する車で来た私達も帰ることが出来ない。電車を使えば帰ることは出来たが、偶然夏休みが重なったので急ぐ必要も無かった。私はすることもなく、その日は軒下でずっと空と山を眺めていた。

生前の祖母には数度しか会わなかったので、私にはこの土地に何があるのか全く分からなかった。余りにも暇だったので、玄関に掛けてあった幅広の帽子をかぶって行く先もなく散歩することにした。そういえば、此処へ来るとき車内から鳥居が見えたのを覚えている。祖母宅から歩いて10分ほどだろうか。山の木々に埋もれるように建っていたあの鳥居が気になった。多分この辺りの土地神らしき何かがいるのかもしれない。祖母の報告を兼ねて行ってみることにした。道は分かる。門を出て右に曲がってまっすぐ。山の入り口を少し過ぎた所に鳥居があって、そこから石段を上がる。

山の中に溶け込んでいるこの土地は、誰が見ても田舎と表現するであろう。聞こえるのは蝉の声だけ。コンクリートで舗装された川には小さな魚が鱗を光らせ泳いでいる。住民の気配が全くせず、夏の刺すような日差しが視線の先を歪める。流れる汗をぬぐいながら歩いた。結局、石段にたどり着くまで誰とも会わなかった。ここから山に入る。やっと日陰に入れることが妙に嬉しかった。石段を上がるとまた鳥居があった。着いた。多分神社なのだろうが、誰もいないから確認のしようが無かった。鳥居の先には本殿らしき建物があるだけ、賽銭箱もない。神社としての機能を果たしているのか全く分からないが取りあえず本殿の正面に立ってお辞儀、祖母が世話になったと伝えた。木々に覆われていて日差しは柔らかい。地面に踊っている木漏れ日は夜に浮かぶ星達を想像させた。報告が終わったが、することがない。山の中にいるためか、蝉の声は先ほどよりも賑やかでないし、辺りを走る風が心地良い。軒下に腰掛けて神社の入り口を見ると、木々の間には蒼穹

鈴の音が聞こえて目が覚めた。ずっと眠っていたらしい。ヒグラシの声が響き渡っている。帰ろうと立ち上がったとき、本殿の裏辺りからもう一度鈴の音が聞こえた。動物でもいるのだろうか。音の正体を確認しに裏へ行くと、本殿囲むように生えている笹の群れに、奥へ続く道が一筋。道というよりは、獣道のように何かが繰り返し歩いた跡というべきか。道の先にも何かあるかもしれない。10分歩いて何もなかったら引き返すと決めて獣道を進んだ。

獣道を除いて地面は全て笹に覆われている。木々が蓋をしてなんとなく薄暗い。5分ほど歩くと笹に囲まれた祠を見つけた。両脇には狐らしき苔むした石像が鎮座している。取りあえず祠を拝んで帰った。その日の夕食に厚揚げの煮物が出された。

翌日も父親と伯父は朝早くから話し合っていた。昼食を済ませてすることがない私は昨日の祠を思い出し、冷蔵庫にあった昨日の厚揚げをタッパーに詰めて神社へ持って行った。神社には相変わらず誰も居なかった。裏にある獣道を通って祠にタッパーを置いた。昨日の昼寝がやけに心地良かったので本殿に戻った。タッパーは起きたら回収して帰れば良い。本殿では昨日と変わらず快い風が吹いていた。

また鈴の音が聞こえて目が覚めた。ヒグラシが鳴いている。帰ろうと思い本殿の裏へ回った。回った、けれども目の前にあるのはひたすら笹の群れ。人が歩いて通れる道は何処にも無かった。私は本来人間が踏み行ってはならない所へ入ってしまったのかもしれない。きっとそうだ。笹の群れ、その先にあるはずの祠に向かって頭を下げて家に帰った。家では父親が酒を飲んでいて、話し合いが終わったので翌日帰ると言われた。元々この土地の人間だった父親に、今日のことを話せば何か分かるかもしれないのに私は何も言えなかった。

 

あの神社に行く機会がないまま十数年が経った。その気になれば行くことは可能なのだが何故か足が向かない。夏になって、涼しげな風を感じる度にこのことを思い出しては空を見上げている。