Twitterには収まらないうだうだを書く。Twitter:@motose__

深夜の愚痴

本来なら道を白に染める雪は何処へやら、乾いたアスファルトが窓から見える。灯油ストーブの唸りを聞きながら薬を飲んだ。

去年寛解したはずの鬱であったが今年の夏にあっけなく再開してしまった。腕を傷つけ手に入れたその場しのぎの活力も秋の到来と共に力尽き、投薬が再開した。割れた器はどうやって修復しても過去のヒビ割れを消すことは出来ない。割れ目を軽い力で突けば、再び器は欠片をなって飛散してしまう。別に私の精神がガラスのように繊細だとは一言も言っていない。この器が単に脆いのだろう。この器の中には何が入っているのだろう。砂か、それとも水か。私のような愚劣な存在にはきっと腐った泥が似合う。

精神が壊れてゆくと、それに比例するかのように人間への憧れが強くなる。いちばん鬱が酷かったであろう4年前、町に出て人間が人間らしくしているのを見る度に訳の分からない感動に押しつぶされていた。同時にその人間達が皆私に軽蔑の視線と罵詈雑言を浴びせているのがはっきりと感じられた。この屑、早く死ね。幻だとは理解していてもこの幻聴と幻覚を拒否することが出来なかった。そこら中にいる人間と私が根本から異なる存在だとあの時に理解した。だから私は人間になれない。今、幻覚は消え去ったが幻聴は時折聞こえることがある。10年以上収まらない耳鳴りに混じって私の存在を強く否定する言葉は昔ほどの傷を私に与えない。けれどもこの傷の積み重ねはいずれ私を消すに十分な力を持つのだろう。

さきほど作業の休憩中に軽く伸びをしたら理由もなく涙があふれ出した。落ち着くために煙草を吸っても涙は止まらない。経験上こうなったら薬とカウンセリングと、痛みを発端とするβ-エンドルフィンに頼ってしばらく大人しくしているのが最善なのだが、この精神に対する絶望的な営みもそろそろ効果を実感しなくなっている。確かに投薬を増やせば精神の状態は幾分か回復するかもしれない。けれども、イフェクサーの副作用に苦しんだことがあるので薬の増量に関して私はあまり良い感情を持たない。カウンセリングも主治医は得意ではないようで、「楽しいことを見つけて」「これ以上自分を傷つけるのは辞めよう」としか私に言わない。私を治せるのは私だけ。要するに、私が回復への意志を持たない限りこの病魔は私の前から消え去らない。当たり前の話、なのだが私が私自身を激しく憎んでいる故に、今の状況を私は半ば面白がっているのも事実。どうやら私は嫌いな人間が苦しんでいると気分が良くなるようだ。この性格を矯正しない限り病状の回復は見込めない。つまりどうしようもないのだ。どうしようもない、人間にもなれない存在がどうしようもなく苦しんで、消える。

5時間後には起きていなければならない。眠気は全く無いのに頭があらゆる行動を拒否している。だるい、という言葉がしっくりくるような気がする。寝なければ。血を流している場合ではない。4年前のロールシャッハテストでも思い出しながら寝よう。