Twitterには収まらないうだうだを書く。Twitter:@motose__

敗走喧騒追想

二月に買ったミモザは葉を落とすこともなく枯れ始めている。

 

東京モノレール羽田空港から浜松町までの風景が苦手だ。私がこの風景を目にするのは決まって退学や宿痾といった、どうにもならない事情を抱えた時だった。

 

この一ヶ月間はとにかく何もしない。そう決めて文字通り自宅で椅子に座る日々を続けた。目覚ましを掛けずに眠ると必ず睡眠時間が10時間を越え、目が覚めると日は真上近くにいた。カーテンの隙間から差し込む光が非常に鬱陶しく、仕方なく起き上がってトースト1枚と珈琲だけで2時間近く椅子に座り込む。傍から見たら病人のようだが、まさしく今の私は病人であり、異常者。今まで空回りしていた思考はチェーンが外れた自転車のようで、どれだけペダルを踏み込んでも一切の手応えを得られなかった。しかしこうやって何もしないことでチェーンは再びギアを噛んだようで、全力でペダルを踏むと僅かながら思考が進み始めたようだった。思考が重い。とても重い。けれども、前に進む感触がする。珈琲を飲んで、思考を記録し、煙草を吸って、眠る。その生活を続けていたら何故か再び体重が減ってしまった。食事を忘れていたのだ。

この半年で過敏になった嗅覚に代わり味覚は減退する一方で、所謂味の基本単位である4つを認識できる程度になってしまった。周囲の人間が「美味い」と言いながら食事している隣で私は「しょっぱい、にがい、すっぱい」と感じながら過ごしていた。思うに、味覚そのものは正常に機能しており、「うま味」を感じ取ることはできているはずなのに、頭の中にいる私がその存在を拒否しているのだ。事実、何度か食事中に他ならぬ私自身が「美味い」と発言したことがこの一ヶ月間で何度かあったが、あれが私の適切な判断によって生じた言葉なのか保証することはできない。つまりは私が自身の味覚を疑い始め、そうなると余計に何かを食べる欲求も消え去った。そして減少を続ける体重を両親に報告したところ、三月に一週間の実家療養が決定してしまった。

 

羽田空港から浜松町までの景色は相変わらずで、この風景を見るだけで私の内側に「敗走」の二文字がはっきりと浮かび上がる。人生を戦いに例える自身のしょうもなさには呆れるが、少なくとも真っ当な生き方もできずにこうやって社会に適応できない存在が古巣に向かうのは、社会的競争に敗北した結果である「敗走」と表現するのがしっくり来る。

そうやって自身の敗北を実感していると、目に入る風景全てが私を嘲笑うかのように輝き出す。スーツケースを引き、これから何処へ行こうかと輝いた笑顔で語らう家族。隙のない装いでオフィスビルのフロントへ、しっかりとした足取りで進む社会人。世界には希望が溢れていると言わんばかりの自信に満ちた目線で商品を宣伝するポスター。誰も彼もがそうやって前を見て生きている事実。事実が私を絶え間なく突き刺すこの痛み、とてつもなく辛く、狂いそう。何故こうも人間は幸福に生きているのか。何故だろうか。

実家までの道中はその人間を多く見た。人間が多い。一ヶ月殆ど現実世界で人間と会うことがなかったからこのように下らぬことを感じ取ってしまうのだろうか。前を見る、人間がいる。後ろを見る、人間がいる。横にも、上にも、下にも人間がいる。人間がいて、人間それぞれが皆抱えきれない人生を全力で生きていて、偶然こうやって私の前を通り過ぎている。喧騒。その事実に押しつぶされそうになって、逃げるように実家へ向かった。

最寄りの駅に到着する頃には夜も遅くなっていた。

今の私が住んでいるのは北海道の中心部で、二月は昼夜構わずあらゆる方向から雪が吹き荒ぶ。それに対抗するかのように街中を除雪車が唸り、走り回っている。雪とナトリウム灯が乱反射して際限なく踊り狂う。常に色々と喧しいのだ。街が喧しければ同様に部屋も喧しくなる。冷蔵庫の唸り声。天井の足音。隣部屋の笑い、嬌声。救急車のサイレン。書き出したら切りが無い。

一方で此処には雪が無い。車や街灯も数が少なく、街灯を頼りに歩いていると、光から暗闇を跨いで光へ、川で飛び石を渡るような感覚に包まれる。東京郊外の夜は春に最も暗く、静かになるのだ。スーツケースを引きずる音と私の足音が住宅地に響いて、その音が呼び水のように言葉を浮かべてくる。

「君には期待しすぎた」

「この仕事向いてないと思うよ」

「変だね」

壁にこびりつき染み込んだ汚れのように、負の言葉は頭の中にずっと残っている。ふと見上げた公園の梅は花弁を殆ど散らして、踏まれた花弁が誰かの足跡を作っていた。

 

帰省する度に頬がこけてゆく私に母親は真剣に悩み始めていた。

母方の祖父はアルコールに依存して行き所を失い、それに嫌気が差した母親は逃げるようにこの地へ進学した。一生一人で生きるつもりだったらしいのだが、こうして子供を生んでしまったことにほんの少しの罪悪感があるようだ。私が精神を冒し始めた頃、母親は頻りに「うちの血のせいだよね、ごめんね」と言っていた。どう言われようと私は私であり、あくまで母親とは異なる個体に過ぎないことを母親自身は未だに理解できておらず、寧ろ母親は「人間である以前に母親である」ことにも気付けていない。だからこうして私が帰省することに幾らかの安堵を抱いているようだった。私がこの家から完全に離れたら母親という肩書は風化し、何者でもなくなってしまう。それを自覚しているのか私には分からないが、母親が地元での再就職を勧めることにそのような意図、つまり子を傍に置いて、死ぬまで母親でありたいという願いが潜んでいるような気がしてならなかった。

地元に戻ってすることは父親の仕事を手伝うか、本を読むか。頭が読書に耐えられる程度には回復していた気がして、自宅から持ってきた村上春樹を読み始めた。外では春を知らせる荒々しい風と、ヒヨドリ。こんな精神状態でおよそ読むべきではない本かもしれないが、間に須賀敦子南木佳士の軽い著作を挟みつつ初期の作品をあらかた読み終えてしまった。内容は気が滅入るものばかりだったが、それでもこれらの本を数日で読了する程度の頭には戻っていることを歓迎するしかなかった。

 

帰省が決定した時に友人と連絡をとり、久々に会うことになった。私は地元の縁を意図的に切り離したので、交友関係といえばこのネット上の幾人かと、大学での交友関係に限られている。そのようなコミュニケーション不全者にも会おうと思ってくれる友人が存在するのは実に幸福なことである。

会って何をしたかと言えば食事をし、その辺りをぶらついただけなのだが、こうやって生身の人間とコミュニケーションを取っていると自身が人間になってゆくような錯覚を抱く。人間。そう、皆人間なのだ。いいや、私だって人間であることには変わりないのだが、私は「人間」という枠組みに放り込まれてしまっただけで自身の意志で人間を全うしようと思っていないのかもしれない。恐らく世間に数多溢れる健常者と私の違いはその辺りにあるのだろう。

そうやって意味を持たないことを考えていたら周囲は夜になっていた。集合場所を都会の中心地にしたため、光や騒音に囲まれると思っていたが周囲は暗く、天頂には冬の大三角が見えた。星を久々に見た気がする。それこそ高校生の時は毎日見ていたはずなのに、毎日頭上にあるものにさえ意識が向かなくなっていた。あれは星だろうか、これも星だろうか。駅へ向かうタクシーの車内から見える光はビルの看板や単なる街灯なのに、それらが白色矮星赤色巨星のように伸縮する幻覚を私は見ていた。白い町での夜に慣れすぎたせいか、こうやって空の暗い夜があることを実感するまでにしばらく時間を必要とした。

夕食で酒を飲んだ為、其処での記憶が無い。南武線に乗り込んだ辺りから記憶は再開している。強く照らす蛍光灯によって車内は白く四角い箱を形作り、窓からは黒い風景の中に赤い星が整列して瞬いていた。違う、あれは中央道の灯りだ。この風景を何処かで見た記憶がある。それも今の私のように、酷く惨めであった過去の何処か。追想しても其処が全く見つからない。この感情をどう文字に焼き付ければよいのか分からず、私は只じっとその灯りを見つめていた。

以前、人生の選択を行う為に自らの意志で複数の扉を閉じたと書いた気がする。確かにそれは事実であり、一切の間違いは無い。けれども、選択を行う私の周囲には扉の他にも深い穴や、私の手首を強く掴み、扉の向こうへ引きずり込む何かの存在に気付き始めた。今の私は穴に落ちたか、若しくは手首を掴まれたか。とにかく、私が死に損なってゆく過程で、自由意志によって進む方向を決定できるのは寧ろ少ないのではないか。もしかしたら、扉を閉じて選択した先へ進む行為よりも、穴に落ちるとか、扉の向こうに広がる闇へ引きずり込まれることの方が多いのかもしれないと。この時になってようやく自覚した。だったらいっそのこと、自身での選択を放棄するのも良いのかもしれない。中央道に一旦乗ってしまえば道中での変更を行わない限り名古屋まで行ってしまうように。落伍者として流れゆく先が私の目的地になるのだろうか。

 

そして私は再び東京モノレールに乗っている。春の東京に降り注ぐ雨は臭く、散った梅の花弁を一晩で茶色く腐らせてしまう。この時期の雨が私は苦手で、ともするとその辺りの水紋から蛆虫が湧いてきそうだ。今回の帰省で体力の回復と、今後のことを話した。そのうえでもう一度北海道へ戻ることになったわけだが、今回の帰省が敗走ならば、今こうやって空港へ向かっている道程は一体何と表現すれば良いのだろうか。敵地、と表現するのは全く間違っていると自身でも納得しているが、このままでは負傷した原因となった地へ戻るだけになってしまう。また負傷すれば良いのか、それとも。

偶然だろうか、新生活が始まる時期だからだろうか、私が登場した航空機はポケモンとのコラボレーションで機内に特別仕様の曲が流れていた。あまり詳しくない私でも分かる、旅立ちの時やタイトルでさんざん聞いたあの曲だった。成る程、確かに皆新しい生活、新しい環境へ向けて旅立つ真最中だ。その単純な事実に私は押しつぶさそうになって、誰もいない場所だったら壁に頭を打ち付けていたと思う。耐えて、何も気にしていないように振る舞っていたつもりだが、私の指先はずっと肘置きを苛立たしく突いていた。荷物の受取時になってもその感触は消えず、寧ろ隣にいた青年達がしていた、入学後の予定を決める会話で気分は滅入る一方だった。

札幌へ向かう車窓は汚れでぼやけ、差し込む陽は弱々しく、春のぬらぬらとした気色悪さが辺りに漂っている。根雪が腐り始め、町全体が泥を被った嫌な感じを纏い始めた。自宅周辺も全くその雰囲気は変わらず、自宅はいつもの湿ったコンクリの匂いに満ち、ミモザは葉を散らしていた。

 

この帰省で、私が落伍者として死に損なってゆくことに幾らか納得した。おそらくこの先も扉を前にして穴に落ち、何者かに引きずり込まれることになるだろうが、夢や妄想は少ない方がその分失望も少なくなる。この年になってニヒルの紛い物を演じる羽目になるのだろうか。全くの笑い事であるが、そもそも私の根幹には拭い難いペシミズムが寝そべっているから、もうどうしようもないのかもしれない。今此処に存在する、表現し得ない嫌な感じ。それを解決するのも良いが、そのまま放っておくのも選択のひとつなのだろう。

どうにでもなれ。

 

【帰省中に読み終えた本】

ぼくはかぐや姫/至高聖所 (松村栄子 ポプラ文庫)

1973年のピンボール (村上春樹 講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上)(下) (村上春樹 講談社文庫)

ノルウェイの森(上)(下) (村上春樹 講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上)(下) (村上春樹 講談社文庫)

塩一トンの読書 (須賀敦子 河出文庫)

こころの旅 (須賀敦子 ハルキ文庫)

山中静夫氏の尊厳死 (南木佳士 文春文庫)

 

私のような病人が村上春樹を読むのは、少なくとも良いことであるとはいえない。

近況_20240207

「便りのないのは良い便り」という嘘があります。便りが何時までも来ないのは、まずその人間が貴方への興味を失ったか、若しくは便りを送る余裕さえも失くしてしまったか。その二通りしか私には考えられません。私がこうやって此処に文章を吐き捨てることが暫くなかったのは後者、自身の体調悪化が理由なのですが。

 

学生の頃は周囲に変人が多い環境、加えて皆自身の思考を言語化する者達だった為に私は大変居心地の良いコミュニケーションを摂取していました。これはあくまで私の勝手な判断ですから、実際はその変人達も内に秘めつつ言語化しなかった何かしらが沢山あったと思われます。しかし私は社会人となってしまい、周囲には所謂「普通の人」が溢れる環境に放り込まれました。嗚呼、普通の人間達は自身の意見を表明しない。表明によって生まれた齟齬を対話で解決しない。陰口や品の無い愚痴が周囲に渦巻いている。それが普通なのです。私はそれに気付くのが遅すぎました。「そんなに陰口が止まらないのなら、本人に直接改善するよう言ったらどうですか」と私が口を滑らし、険悪な雰囲気になったことも数知れません。この半年間で私が変人は愚か、人間として本来備わっている能力を欠如している可能性を嫌というほど感じ取りました。けれども自身の幼少期や記憶の底をかき回してみると、掘り出されるのはそれに似た場面、そして周囲からの鋭く冷たい目線。どうやら元々その気があったようです。私は人間というものが分からない。人間が分からないし、加えて私は他ならぬ私自身が一等不可解な存在と認識しています。私の思考は勝手に始まり、起点から無節制に枝分かれして際限無く私の意識を支配する。思考の濁流は留まることなく、その中心で私は溺れています。そんな状態で日々生活している為に、私の四肢は自身の意識から離れて動くことがよくあるのです。珈琲豆を挽いていたら10分が経過し、沸かした湯が冷めかかっている。食器を洗っていたら何時の間にかシンクに茶碗の欠片が落ちている。洗濯機から取り出したシャツを浴槽に投げ込む。常に頭の中が騒音に埋めつくされている、と表現するのが正しいのでしょうか。勿論今の私が病的状態であるが故にこのような状態にあるのは否定致しません。貴方はどうですか。意識、思考とは他人に共有できない概念だから、私の意識を貴方に理解して貰うことは不可能です。同様に、貴方の意識を私も理解することはできません。概念を共有することの困難さが私にはとても不快です。貴方の頭蓋を切り開き、其処に私の意識を接触することで感覚、思考、意識を一対一で共有できるのなら、私は今すぐにでもそうしたい。私にとって普通の人、健常者の思考は盲人の頭上に広がる空の碧さと同等だと思っています。対話に疲れてしまいました。だから一人で居る時間をなるべく増やそうと思っているのに気付いたら何処かの誰か同士の会話に混ざり込んでしまい、其処で突拍子もないことをほざいて嫌われている。私の行動原理が理解できません。実にこの不可解な存在を一体どうしたら制御できるのだろうと日々苦しんでいます。

 

そうして結局体調を崩し、幻聴幻覚と再会してしまった為に今月から暫くの休養を言い渡されました。遅刻を恐れて寝袋で夜を明かす生活から離れ、目覚ましをかけずに眠る。人間の臭気溢れる煩い地下鉄が私にとってかなりのストレスであったらしく、加湿器の音だけが耳に入る静かな部屋で只々窓辺の日差しを眺めています。この半年間で私は自身を潰されるほどの音に囲まれていました。サイレン、機械の駆動音、アラーム、着信音、扉の軋み。そして人間達の鳴き声。私は聴覚が過敏、というより聴覚と触覚の境界が曖昧と表現すべきで、ある程度の大きな音は全て鼓膜を貫通して直接頭に刺さる感覚がします。聴覚の刺激が結果として痛覚にもなっていたこの半年間は文字通り地獄で、詳しいことを記すことは不可能ですが、今この何も無い生活にある程度の安息を感じています。日差しが深く部屋へ入り込み、コンクリの壁に作り出す白と灰の境界を眺め、挿花が光で揺れる様子を空回りする思考と共に見つめる。頭は勝手に動くけれど、それ以外は「何もしない」ことを久しく行っていなかった気がします。この行為でしか得られない感覚が実在する。この感覚を久しく得ていなかった気がします。鎌倉で迷った時偶然入り込んだ山寺でもこの感覚を得た記憶があるような、他には洞爺湖畔と琵琶湖畔の早朝、祖母が住んでいた山の竹林…。今は雪と氷に閉ざされた街に引き籠もっている訳ですから。機会を得たら山の奥深くにでも行って暫く過ごしたい気分です。

 

休養の身になったとは言いましたが、今の私には幾つか行わなければならないことが残っています。それは様々な手続きだったり、あるいは自身が持つ先天的な障害の精査だったり。私が一体何者であるのか、それが判明したらまた貴方へ伝えることが生まれるかもしれません。それでは。

近況_20230704

新社会人の生活は存外忙しいもので、気がついたら春が終わっていました。今年の冬は暖かく、うららかな春を期待していた私に吹きすさぶのは、下品で角ばった風。灰色の春を過ごしましたが、植物はこのような寂しい春でも開花の機を違わず咲き、今年もライラックを眺めることができました。お久しぶりで御座います。

 

10年近く身に纏っていた学生という身分を漸く捨て去りました。何か自意識に変調が現れるのかと思いきや、そんなものは全く訪れる気配がありません。私の周囲を観察してみると、社会人になりたての人間は皆何かしらの光に向かって歩いているように思えます。未来に肯定的な意志を抱き、そうやって日々努力を重ねている存在を前にすると、敗残兵として社会人を始めた自身の意識がどうしようもなく軽薄で軟弱なことに気づいてしまうのです。私に未来は無い、後ろにはヘドロが溜まった沼、今立ち尽くしているこの場所はとても不安定で、少しでも風が吹けば真っ逆さまに落とされる。環境の変化によって自身の価値観がすぐさま変わるとは思っておりませんが、それでも変化の兆しを何処かに認めるはずです。けれども、その気配が私には感じられません。この先私の意識が更新されるとは信じ難く、この不安定な今を維持することに必死な私は、この世に存在する理由を見いだせません。何度か死に損なった故に、どのような思考を経てもそのような結果に行き着くことに途轍もない気色悪さを感じ取る私に、先にあるだろう光を見つけることはできるのでしょうか。私は何をすべきなのでしょうか。

ついこの前、友人にこのようなことを指摘されました。「4月の時と比べて、明らかに会話が成立しなくなっている」と。環境の変化による疲弊が生返事や曖昧な返答を生み出しているのは事実ですが、その度合があまりにも酷く、彼は心配してしまったそうです。釈明の余地は一切御座いませんが、私がこのように更なる無知蒙昧になりつつあるのは疲労や環境の変化以外にも大きな理由が存在するのです。それはとても単純で、とても厳しいこと、それは「私が何者なの」かという疑問です。私は何をしていて、どんな私で、何を表現して、何を食べて、何処を歩いて、何を目的として、どうやって死ぬのか。これらの事柄は言うまでもなく私を形作る概念ですが、この数ヶ月でこれらが全て砂のように消え失せた感覚がしていて、つまりは私にとって私が全くの不可解な存在になっています。「私は何者なのだろうか」と一度思考が始まると、周囲の音は消え失せ、光も失われ、無音の暗闇に放り込まれることで周囲の情報を一切受け取ることが不可能になるのです。これが昼夜を問わず私に襲いかかるために、生返事が増えているのだろうと推測しています。この疑問、靄をなんとかしようと腕を振っても消えることはなく、思考の大部分をこの靄に支配されているので会話は成立せず、自身が何を言ったかも理解できず、他人の話が聞き取れず、上の空で茶碗を割る。働き始めた為に、何を考えずとも死ぬことはなくなった。加えて今までの私を支えていた概念が皆消え失せた。白痴になりつつある私でも解決方法は理解しています。思考し続けること、そして目的を見つけること。上述した光を見つけることが私にとって喫緊の課題なのですが、そのようなものは一体何処にあるのだろう。

貴方は札幌の夏をご存知でしょうか。此処の夏を乱暴に表現すると、「水の気配がしない湖畔」です。夜勤明けに手稲山を見ながら帰宅すると、その意味がよくよく理解できます。朝方の空は毒にも薬にもならない青で、夏の強さを感じない陽光が山肌を柔らかい緑に染めています。時たま被さる雲で、山の所々がより深い緑に染まることはあれど、あくまで山は穏やかに、心なしか無気力に横たわる。関東で見るそれのようにギラついて、葉の輪郭を浮き出す陽光も無く、形を捉えがたい、なんとも引き締まらない気候です。私はもっと威力が高い夏を欲します。休暇を取って何処か暑いところへ行きたい気分です。

 

もっと書き記すべきことはあるはずなのに、酒を飲んでJ.S.Bachの無伴奏チェロ組曲第6番第5曲を聞いていたら何もかも忘れてしまいました。そちらは暑くなることでしょう。体調にはお気をつけて。

近況_20230311

何物かを考える気力、そして時間を確保できず地を這い回っていたら春が始まってしまいました。年が明けての一ヶ月間の記憶が一切存在しないのは、きっと嫌なことがあったからに違いありません。正月付近の私は存在しなかったのかもしれませんね。それはさておき、貴方に伝える出来事がそれなりに積み上がっておりますので、それらを粛々と書き連ねるつもりです。

就活は相変わらず人格を否定されるだけで、内定には程遠い、寒い冬を過ごしていました。面接に向かった先では当たり障りのないことを言われて、自宅に不採用通知が届きます。面接が嫌らしいのは、何が悪くて不採用になったのかが一切分からないところにあると思っています。一切笑顔を見せずに面接を受けたことが原因なのか、それとも単純に年齢が原因なのか。大学の同期や後輩に「絶対に接客向いてないよ」と言われているのは実に正しいことだったと今更ながら痛感してしまいました。患者と向き合うのに笑顔を作れない人間は必要ない。初対面で相手に緊張を強いる、私のような人間が勤められる場所ではないと見切りをつけて別の領域へ会社見学を申し込んだのが2月の始めです。そしたらあれよあれよという間に事が進んでしまいました。というよりも複数のステップをすっ飛ばして「お、イイね!採用!」となり、私の就活は終了しました。あれだけ人格や年齢を否定されていたのに、終わりとは実にあっけないものだなぁと拍子抜けする間もなく様々な手続き、送別会に追われてようやく一息ついたところです。というわけで、ひとまず一人だけで生きられる環境を得ましたが、なんというか、内側の奥底にこびりついた沈殿物が私の意識から離れずにいます。それはワインの澱のように、乱雑に私の意識を振り回すと浮かび上がり、思考を阻害するのです。澱には「もっと努力を積めば、より良い結果を得られた」「もっと早くことを始めれば、より良い結果を得られた」なんてことが書かれていて、つまりこの澱は私にとって可能性の向く先であり、つまりは私にとってあり得たかもしれない未来なのでしょう。澱を一つ一つ数え上がることは不可能なように、私の可能性もおそらくは無限に存在するはずです。音楽家になっただろう私、小説家になっただろう私、旅人になっただろう私、写真家になっただろう私…。私が今いるこの真っ白な空間に、扉は沢山あるけれども、その中から選べるのは一つだけ。その一つを私はもう決めてしまいました。この先にあるはずの扉には、ひょっとしたらそういった「私の才能」に沿った未来があるのかもしれない。けれどもそれらを選択することはきっと叶わない。私にはなんの才能もないから。だから私は扉を閉めるのです。さようならとつぶやきながらドアノブに手をかける。さようなら。さようなら。さようなら…。そうでもしないと、ふと振り返ったときに、別の扉から魅力的な世界が見えてしまうかもしれない。そうして開いている扉が一つだけになって漸く未来を諦めて、次へ進む決心がつきました。この先は恐ろしくつまらない人生かもしれませんが、因果応報というか、寧ろこれだけの罪や罰を抱えている私にとってはもったいないくらいの人生なのかもしれません。だから先へ進みます。

環境が変わるため、様々な作業に忙殺されつつもなんとか時間を作って京都へ行きました。思いついたのが出発一週間前にも関わらず、ガイドとルート作成を引き受けてくれたA(仮)、食事代を全て持ってくれたB(仮)、ありがとう。歴史に裏打ちされた建築物を前にすると、短い時間だけを生きている自身の存在がとても矮小で、独りよがりで、そして無意味なものに思えてきます。浪人時代、神社仏閣といった日本家屋は暗闇を基本として構成されている、という評論を読んだことがあります。屋外から薄暗い部屋に入り、じっと暗闇を見つめていると、段々と目が慣れてくる。そうすると不意に仏像が目の前に現れ、外光を鈍く反射する瞳はこちらを見下ろし、突き刺すような視線が人間としての悩ましさを鋭くえぐり出す。そうなって初めて我々は未熟な己を省みるといったことを書いていました。観光として立ち寄っただけの私ですらその鋭い視線に思わず身構える程ですから、修行として仏前に座するときの感情はどれほどなのだろうかと思わずにはいられません。そうやって修行を積む人間は今までに幾程いたのでしょうか。観光客が存在しなかった頃の、観光地でない京都を一度で良いから体験したくなりました。ところで、今回の旅行は京都に加え、大阪と大津にも足を運びました。それらについても少し書こうと思います。元々大津に立ち寄る予定はなかったのですが、観光シーズンと重なってしまったのか、京都の安ホテルは全て予約できなかったが故に大津の宿を取りました。京都と大津は電車で10分という、大変アクセスが良い関係にあることをこの時初めて知りました。宿泊先として選択しただけなので大した観光はしていませんが、明け方、雨に煙る琵琶湖は強く記憶に残っています。霧雨に降られて30m先を見ることもできず、琵琶湖の岸から見えるのは係留された船と釣り人が一人。景色としては楽しめないかもしれないが、全てが輪郭と色彩を失った曖昧な風景、あらゆる音を吸い込む水の静寂。その中に沈み込んで前後の感覚を溶かしていると、時折聞こえる水鳥の羽音に思わず現実へ引き戻される。このような風景を何処かで見た記憶があると、頭の中を探し回るとたどり着いたのは、かの有名な印象派を象徴する作品でした。場所こそ全く異なる、それどころか時間も交差すらしないこの場所でその絵画を思い浮かべ、はたまた霧に覆われるミラノを書き記した文学者の随筆を思い出す。この霧と湖を彼ら、彼女らに見せたら何を表現するのだろうか。そう思う一方で、表現すらできない自身の無能を酷く罵る気にもなりました。大阪は、なんというか、文章で表現できる統一された感じを一切抱くことができなかったので、少し断片的な語彙になってしまいます。人間、熱気、肉肉しい感じ、自然的な概念が一切存在せず、かといって東京の中心部とは全く異なる。人間が強烈にこの地では最優先であり、その他には目もくれず、ひたすらに疾走し続けている町でした。少しでも隙間があれば商店が立ち並び、大阪駅のように整備された建築物であってもその隅には立ち飲み屋が並ぶ。段ボールを置いて、じっと平伏を続けている老人も見ました。エネルギッシュという言葉に尽きます。圧倒されるところでした。

さて、そうして就活を終えた結果図らずも正式に道民となった私ですが、果たして道民とは一体何を指すのでしょうか。私の両親は共に故郷に対する強い思いを持っているようですが、上京組の子供である私にはそのような概念が一切存在しません。東京で生まれ育ちはしたけれど、此処は便利である以外に感情を持ちません。とりあえず「私は東京出身です」と言うことはできても、それはあくまで便宜的な方便に過ぎません。だから北海道で暮らすうちに「私は道民です」と胸を張って言えるときが来るのか、甚だ疑問なのです。貴方はそのような、地に根ざしたアイデンティティを持っていますか。確かに北海道の特色として、この地はアイヌのものであり、我々がよそ者であるという認識は、アイデンティティという概念そのものを薄めることに一役買うかもしれません。けれども、よそ者はよそ者なりに、長い間暮らしたことで醸成されたアイデンティティを持つ家庭を私は見てきました。このような気がかりは時間が解決してくれるのでしょうか。それが理由なのかわかりませんが、どうも今の私は無意識のうちに「私は道民である」ことを自身に刷り込ませようとしています。私自身そのようなことを一切考えていないにも関わらず「北海道は…」「札幌は…」という言葉を返答の始めに使い、東京に来て異様な暑さに驚き、スーパーでは道産の食材を探している。今の私はそのような土着のアイデンティティを育てている最中なのでしょうか。私の父親は東京で長く暮らしていますが、まず自身を伊予の人間であると自負しています。そのような感じで私も出身や住まいを尋ねられた時、いずれは「東京出身です」とか「道民です」とするする口に出せるにはまだまだ時間がかかりそうです。勿論、何処への所属も見いだせないまま死ぬ可能性もありますが。

今は実家に帰省しており、役所の手続きや掃除に明け暮れています。此処はそれなりに静かな住宅街で、夜更けに町が静まり返ると、遠くを走る電車の音がリズム良く聞こえてきます。実家の居心地はお世辞にも良いとは言えませんが、この家を去るためにもう少し整理整頓と断捨離を進めるつもりです。もう新年度はすぐ其処ですね。札幌に住むことでソメイヨシノを気軽に見られなくなるのは少し心残りですが、それはそれとして大きく変わる環境に慣れる努力をする方が良さそうです。年度の変わり目は何かと体調を崩しがちです。どうぞご自愛下さいませ。

近況_20221228

今までの私は、自身に足りない人間性を学力という点数で補填し続けていました。つまり、人間性だけが必要とされる環境において私が必要とされることはないのです。当たり前のことですね。

就活を思い立って3ヶ月が経過しました。もともと研究室での奴隷扱いから逃れるために始めたことです。国家資格とそれなり、最低限の学歴はあるからすぐ終わると思っていました。そのような私に降りかかるのは、今までの生き様を強制的に振り返らせる不採用の雨です。会話に一切の笑顔がない。初めての会話で人を安心させることができない。冗談が言えない。正解が無い会話をしない。人間性がない。必要とされない。他人からの評価で傷つくことはもう無いだろうと思っていましたが、存外このようなことが胸に刺さります。そうやって自身の何処に意味があるのか考え続ける日々を送っていました。いや、待ってください。この世の中を生きる人間達は皆そうやって自身の意味を日々考えて、底の無い懊悩に苦しんでいるのでしょうか。そんなわけありません。皆答えを持っているはずです。意味を放棄し、なんとなく生きている人間なぞこの世に存在しない。…そうか?それは違うはずです。実のところ、なんとなく生きている人間はこの世にいくらでも存在します。けれども私は意味と理由を与えられ、それらを達成するための環境と時間も用意されました。だから努力と研鑽を重ねて上を向かなければならなかったのです。しかし、他人よりも遥かに多くの時間をかけて出来上がったのは、消えない傷と壊れた器、そして狂気。本来の目的を達成できないのならば消えるべきです。物であればそれは簡単にできることですが、あいにく私は物でないらしいので、勝手に処分すると面倒な事になるとか。生きるというのは難しいですね。

おそらく精神の調子がまた悪くなってきたのかもしれません。見聞きしたものの記憶がすぐに薄れ、こうやって文章を書くのが難しくなっています。少し休みたい気分ですが、来年度無職になるのはどうしても避けなければならないのでもう少し頑張るつもりです。寒さも厳しくなってきました。風邪にはどうぞお気をつけて。

近況_20220928

この文章を読んでいる方は全員知っていることだと思いますが、10月から私、休学します。そして就活して、就職先が決定したら今年度を以て大学院を退学するつもりです。父親からは別に休学せずとも、と言われましたが講義や研究指導を受けずに就活して無駄に授業料を支払う必要もないのでね。国家資格を取ってて本当に良かったなと感じています。というか1年半一切の研究指導無かったのおかしいね。

というわけで就活という名のクソ無職生活を送っています。候補となる医療機関を調べて履歴書を書く毎日。それ以外にすべきことはほぼなく、昼過ぎに起床して食事をとったら夕方まで昼寝する日も屡々。そしてスプラトゥーン3がリリースされた結果生活習慣は更に崩壊し、夜に眠れぬ日々を送っています。そろそろ生活習慣を改める必要がありますね。というより、すべきことが無い毎日は私の基盤をあやふやにさせます。私が生きる理由は?私が生きる目的は?本能の充足は生存の手段にすら値しないと見なしている私がこのまま生きたとして何を為すのか。生きるからには理由が欲しい。けれどもその理由や目的を一切の他者に依存せず手に入れる為に私は何をすれば良いのか。そうやって泥のような思考に飲まれて、脳が抜け落ちた猿の表情で日々を過ごしています。今考え得る最も適切な解は、このネット上での身分を消すこと。そして就活を進め、それが終了したならば来年度から使う知識の再確認を行いつつ、私の目的を一切思い出さずに義務のみを遂行して生きる。とてつもなくつまらない生き方になるとは思いますが、そもそも私が楽しむことに価値があるのか。私自身が面白がり、楽しみ、幸福を感じる資格があるのか。それを決定するのが他ならぬ私であるのは事実です。私が何を感じるか、それは私だけが理解しているはずです。けれども自身の存在を危うくした結果10年以上暗闇を彷徨った経験から、私は私のことを何も理解出来ていないという事実を手に入れてしまいました。もう何も分かりませんね。これは周囲の人間にも当てはまる問題なのかもしれませんが、これに関しては「私が自身の解答を手に入れる」ことが重要なのでそもそも他者がどのように考えているかは関係ありませんね。まぁそもそものはなし、この問題を解決するための前提知識が足りないし、その才能も私にはありません。知識を増やすのは容易なことですから、しばらくは本でも読んでいるのが良さそうですね。

サークルのOB温泉について行きました。同期を誘いましたが「温泉入ってオッサン共と酒飲むだけじゃん」とばっさり断られました。というわけで8時間くらい温泉にどっぷり沈んだ結果、全身の肌がスベスベになりました。けどこれって温泉が弱酸だったり弱塩基である為に角質が溶解したからスベスベになっているだけなんですね。浸かりすぎには気をつけましょう。ところで露天に浸かっている時に丁度激しい雨が降っていました。なので備え付けのベンチに座ってみたところこれが非常に面白い。全裸で雨に当たることが全くないので全身に当たる雨の感覚が強烈に四肢末端の触覚を呼び覚まします。目を閉じるとこれもまた不思議でして、全身の輪郭を雨がかたどり、視覚を遮断しても何処に脚があるか、指先があるかつぶさに分かります。鷲田清一の本で、人間は腹痛によって始めて臓器を認識するという文があったことを思い出しました。だから何だって話ですけどね。温泉に浸かって、のぼせそうになったら水風呂に飛び込んで三半規管が狂うまで体温を下げ、再び熱い湯に浸かる。巷ではこのような行為を続けると「整う」らしいのですが私にはまだ遠い感覚だったようで、将来の不安を延々と考えてたら湯船に2時間というのが毎回でした。来年はもう北海道にいないはずなので、もう一度くらい何処かの温泉でゆっくりしたいですね。

スプラトゥーン3やってますか。私のプレイ時間は今の段階で100時間くらいですね。やり過ぎです。まぁこの100時間の半分はヒロモのTAなので実質的なプレイ時間は60時間くらいでしょうか。まだバンカラマッチのモチベはないのでウデマエはSですが、周囲のやる気に満ちたプレイヤーでは既にS+50を達成しているのもいますね。私はリリース直後のコンテンツなんてどうせ荒削りが過ぎるのでしばらく放置することが多くて、今もオンラインでやってることは殆ど鮭しばきとナワバリのフレンド乱入ですね。私はこういったコンテンツをコミュニケーション目的でプレイすることが多いので、一人でプレイすることがストレスに直結するなら遠慮無くそのコンテンツから離れます。まぁもうちょっと時間掛けて楽しみましょうかね。今の環境に文句言っても意味ないし、そもそも他人に文句なんて言いたくないので。あとアレね、今のスプラトゥーン3で「やることが無い」って言うのはホテルのバイキングで開幕ローストビーフを食い尽くして「食べるものがもう無い」って言ってるのと同じなのでやめましょう。ユーザーとしての立場をわきまえようね。

どっかに旅行したいですね。まずは就活頑張りますか。

近況_20220724

身体的な限界を迎えていました。どうせ研究室で吐くので朝食は水、昼食は無し。最低限の作業を行ってすぐさまトイレに駆け込み胃袋を絞り上げ、昼食をとって帰宅する生活がどうみても異常であると気付くまでに2週間かかりました。それでも指導教官は過剰なタスクを要求するので、私は指導教官には告げずに研究室唯一の日本人と、全体の監督者である教授に相談をしました。そしたら指導教官が研究室のルールを幾つも破っていることが発覚。すぐさま休暇を取る、そして実験室には行かないよう指示されました。正直ホッとしています。他者に相談したことはあえて言わず、「体調不良で大学に来るだけで嘔吐してしまうのでしばらく静養する」とだけ指導教官にメールしたら「君の体調を詳しく聞きたいので来週大学に来ること」との返信が来ました。ああ、成る程。確かにこの人間は論文を書く能力はある、しかし人間としてはゴミだとはっきり感じ取りました。私の身体を破壊する人間に対して慈悲を向けるつもりは一切無いので、教授には指導教官を変更する可能性も考慮して対応してもらえることになりました。指導教官の声すら聞きたくないので「スマホは電源を切っているのでメールでの連絡のみ対応する」と連絡しましたが、しつこく電話を掛けてくるのは何が理由なのでしょうか。着信を全て無視していたら、今度はメールで「To have confident is the key」と言ってくる始末。人間というのは自身と他人の相違にこんなにも気づけないものなのでしょうか。自身に誇りを持っている人間は勝手に上を向いていろ。そのような生き様は間違いではないにせよ、正解ではない。私には私なりの生き方がある。だから邪魔をするな。私を傷付ける資格は他ならぬこの私だけが持つ。

本州では記録的な猛暑によって日夜茹でダコが生まれているようですが、こちらは寒くて夜中に目が覚めてしまいます。私の体調不良も理由の一つでしょうが、とにかく日中に汗をかくことすらありません。私が東京に住んでいた頃の気温と比較すると、今の北海道の気温は東京の3月中旬のそれと等しいです。暑さにうなされて眠れない夜を経験しないのは、それはそれで良い事です。しかし私の記憶に刷り込まれた「夏」が経験できないことにもどかしさを抱いています。何しろ今更紫陽花が咲き始める土地です。この時期東京では蝉達がスコールのように人間の鼓膜を叩き続け、その生命力に圧倒されていることでしょう。一応こちらでも蝉を聞くことができました。疲弊して研究棟を出ると何処から蝉の声。誘われるがままその発生源たるポプラの木へ向かっても蝉の鳴き声は増えず、根元に到着しても一匹の蝉が寂しく鳴いているだけでした。私にとって蝉時雨とはJR新宿駅のホームで聞くことができる、絶え間ない音の奔流と似ています。普段は鼓膜を振るわせても脳がそれを音と認識しない。けれどもふとした時にその音達を捕らえてみるとその複雑さに思わず立ち止まらせる、線路の音、室外機のうねり声、そして人間達の喧噪といったように、集団になって初めて完成する音の集合体です。森を埋め尽くす蝉達が居て初めて蝉時雨は実体を持ちますが、一匹だけの蝉はそのような音の流れを作りません。あまり利用者がいない地方都市の駅前で青年が弾くギターのように、一匹の蝉が音を生み出すことは寧ろ寂寥を助長してしまうのです。幸いにも今年の夏は東京へ行けるようなので、恐らく5年ぶりの蝉時雨を感じることができることでしょう。実家に帰ることは正直煩わしいのですが、これはトレードオフと思って受け入れるつもりです。

春から共通講義で意識と脳についてという、極めてあやふやな概念を学んでいます。脳の物理的欠損によって生じた現象から、精神疾患による意識変容、そして感情を科学する実に興味深い講義です。詳細を此処に書くのは疲れるのでやめておきますが、講義を受ける度に自身の存在があやふやで、私を形作る重要な要素でもある感情はつまるところ生存に繋がる行動を惹起する為の現象に過ぎないらしいです。感情の存在はヒトが高等生物であることの証左と見なされ、感情を持つ生物は消費されるべきではないという姿勢が一般的常識のようですが、果たして感情とは一体何なのでしょうか。そして感情を持つことが多の生物に対する優位性を保証するのでしょうか。そうやって知識を消化してゆくと、私のような愚人は自身の存在意義を少しずつ奪われるような感じがして少し嫌な気分になります。脳は生存のためにあらゆる無駄な機能をそぎ落とし、結果我々はその欠陥に気付くことも無く幸せに、そして和やかに生きるでしょうか。

休暇を手に入れたとはいえ、講義は受けなければならないので積み重なったレポートに四苦八苦しています。今年の夏は例年よりも激しいので体調にはどうぞお気を付けて。私は不健康ですが。